もう一人の少女 21


ドアの前に立つ兵士は、横の男性…─トルトンを見て、スッとその前から退いた。
トルトンはその様子を当たり前のように見、ノックをすると中から声がし、彼はドアのノブに手を伸ばした。
その後ろをついていくエラは、不安に目を伏せる。
…─何故、私は呼ばれたのだろう。
このドアの先にいるのは一体誰≠ネのだろうか。
エラの前、トルトンがドアをゆっくりと押し開けた。



「…エラッ」
ドアが開いた。クリスが思わず声を上げて立ち上がると、トルトンは苦笑いをして目線で座れと促す。
クリスは、眉を寄せると従ってそのイスへ腰を下ろした。
それを見てトルトンは口を開く。
「知ってるでしょうが、こちらが第一王子クリストファー様です。
 王子、こちらはあなたが望んだ少女のエラ。間違いありませんか?」
前は少女…─エラへ。後はクリスへ向けてトルトンは言った。
エラは、その言葉とクリスの姿を確認して小さく安堵の息を吐き出した。
クリスはその少女の顔を見て、小さく口の中でエラと繰り返す。
それは昨日、人づてに知った彼女の名前で。
本当は、自分で迎えにいきたかった。しかしそれを止めたのはトルトンだ。体面があるからと。
昨日、その後を追って城へ戻ったが、彼女に会うことは出来ず。
思いがけずレオナルドの、心の内を聞いた。
その話を聞いて、したことを聞いて、レオナルドの持つ剣についた血を見て飛び出しそうになったが結局昨日外へは出られなかった。
ジッと、やっと苦痛な夜が明け会うことの出来た彼女を見つめる。
喜びが、身体を満たしていく。
「…怪我は、無かったんだな」
口からでたのはそんな言葉だった。
彼女の身体には傷が付いた様子はなく、彼女は少し悲しそうに笑った。
「えぇ、私は無事でした。守られるばかりでしたので」
少し辛そうに、眉を寄せて眉尻を下げたその表情に少し心が痛むと同時に、違和感を覚える。
しかしそれは直ぐに消え、出てきたのは不満、だった。
…敬語?
昨日は、普通に話してくれていたのに、と。そこで自分をあの時は王子だと知らなかったことを思い出す。
知ってしまったから、使われる敬語。
庭園で話した彼女の印象では、そんなことは無いような気がしていた。
少し、彼女が遠くなる錯覚を覚えてクリストファーは小さく首を振った。
そして、クリスが顔を上げると彼女はそっと、困った様に微笑む。
そこにまた沸いた違和感にクリスは首を傾げた。
「迷惑をかけた。本当にすまない」
謝罪し、小さく下げる頭に、トルトンは軽く眉を寄せる。
どうせそんな簡単に頭を下げるなと言いたいのだ。
彼女は頭を上げたクリスに向かって優しく穏やかに笑む。
「いいえ。そんなことはありません、それに彼をちゃんと助けてくれたでしょう?
 王子様は、悪ないです」
そう言って、どこまでも穏やかに優しげに微笑む彼女にクリスは眉を寄せた。
深まる、違和感。
何かが、違う。
これは自分を王子と知って、態度を変えた彼女への違和感か。
笑む顔は同じ、自分が惹かれた彼女。
その姿は、間違いなく彼女だ。彼女の、筈だ。
トルトンはクリスの顰めた顔をなんと思ったか、咎めるように声を上げた。
「王子、そんな仏頂面してないで。お話があるのでしょう」
トルトンの言葉にハッとなる。
確かに、大事な話がある。彼女に、言わなければならない言葉。
伝えたい、この言葉はしかし伝えても良いのか。
目の前の彼女を見て、思う。
柔らかに、笑みながら首を傾げる彼女は何かが違う≠フだ。
もっと、強く。
彼女≠ヘ、何かが印象深く…
「…あなたは、」
思わず呟かれた声に、言葉は続かず。
トルトンは、怪訝そうに眉を寄せた。
彼女≠熾s思議そうに、こちらを見る。
──控えめに、向けられるのそ視線。
「…何でしょう?」
尋ねられる、その声。
クリスは、見つけた違和感にジッと彼女を見た。
違う。違うのだ。
凛とした声。
真っ直ぐに怖じけず見据えるその瞳。
何処か、堂々としたその佇まい。
だが、何処か危なっかしさを感じるような…、脆さ。
彼女≠ヘそんな人だった。
改めて、目の前の彼女≠見る。
優しく柔らかな声。
控えめに、見つめてくる瞳。
感じるのは、穏やかな柔らかいその気質。
やはり、違うのだ。秘かだがしかしこんなにも、違う。
彼女は、彼女≠ナはない。
クリスは自分の考えていることにグッと眉を寄せる。
確証は無い。ただ、感じる。
おもむろに、クリスは自分の懐に手を入れると小さな袋を取り出した。
トルトンとエラはそれに視線を向ける。
クリスはそれを感じながら、その袋の中からそれを取りだした。
それを彼女の前に見せる。
エラはそのまま何も言わないクリスに困惑したようにしながら、それとクリスの顔を交互に見た。
クリスもまた、手元のものに視線を下ろす。
蝶を象った青い髪飾り、それは舞踏会の夜、彼女が落としていったものだ。
「…これに、見覚えは?」
何処かに、確信がある。
彼女はきっとこれを知らない。
落としたはずの、彼女は。
知らない。
「…いいえ、ありません」
彼女はゆるゆると首を振って困ったように微笑む。
そして何かと首を傾げる彼女に、クリストファーは首を振った。


「…いや、何でもない」
エラの言葉を聞いて、そう眉を寄せて言ったクリスをトルトンは怪しげに見つめた。
トルトンもクリスの様子がおかしい事に気がついていた。
何が、クリスをそうさせるのか、しかしトルトンには分からなかった。
クリスは今考えるように目をつぶっている。
そしてその口は、ゆっくりと開かれた。
「…彼女≠ヘあなたではないな?」
その不可解な問いに、トルトンは顔を顰めた。
自身も、舞踏会でエラのは顔は見ている。間違いなく、彼女だ。
それは、クリス自身入ってきたときの反応で確かだと分かっている。
クリスは何処か確信を持ったような表情で、ジッとエラを見つめている。
エラに視線をやれば彼女は驚いたように口元に手を当てていた。
そこに、何を問われているのかと言う困惑はなく、ただ驚きがあるのが見て取れた。
エラは、少し落ち着いたのかジッとクリスを見返す。
「何故ですか…?」
「ただ、あなたは違う≠セろう。俺も自分でよく分からない」
珍しく、困ったと表情に出しながらクリスはそう言う。
トルトンはそれに驚きながら会話の奇妙さに首を傾げた。
エラはその言葉に納得したように頷くと、優しく…笑んだ。
「きっと、王子様は正しいです」
クリスの言葉を肯定するエラに、トルトンは困惑した。
視線を移すと、クリスはジッとエラを見ている。
トルトンは、自分だけが意味を理解していない事に眉を寄せた。
「…あなたも、エラなのか」
クリスの発言は、妙だ。
それではエラという人間が二人いることになる。
同姓同名なら分からなくもないが、会話の流れから違うことぐらい分かる。
トルトンはエラへとさり気なく視線を向けた。
「ええ、私が、エラです。王子様」
微妙な言い回しに、クリスが眉を顰めた。
トルトンもエラを見ながら考えを巡らせる。
肯定をした、がその後の言葉は否定に近い。
それは先ほどのクリスの複数を問う言葉に対してそれを否定し、自分がそうだと。
…─むしろ、もう一人は実は違うものだったのだと示すように…─。
彼女は困ったように笑っていた。


エラは真っ直ぐに見つめてくるクリスの視線を受けて困ったように笑んだ。
その真っ直ぐさは、彼女を思い出す。
私が、彼女のことを話すわけには行かない。それを彼女が望んでいるのか私には分からないから。
ただ思う。
何処か儚くて脆さを感じる彼女には、きっと強く、支えてくれる人が必要なのだ。
…王子様を、見て思った。
彼なら大丈夫かもしれない、と。
大切な人を、両親を失って、知らない土地へ来てしまった彼女を。
そんな中、自分を精一杯守ろうとしてくれた彼女を。
アスカを、支えてくれるかもしれないと。
エラは自分が、そんなに鈍くないと思っている。
目の前のこの人が、自分をアスカさんを望んで居るのは直ぐに分かった。
ただ、それは自分が言葉を発する度に薄れて違うところを見始めたのを。
エラはそれを嬉しく思った。
自分が、明日香ではないとそれを感じたクリスを。
明日香の存在を探すクリスに、エラは期待を抱いた。
考えるように俯いていたクリスはグッと顔を上げるとエラを見、直ぐにトルトンへと視線を移した。
「トルトン、彼女を家に帰してやってくれ」
「…はい、王子」
トルトンは何処か納得しかねる様子だったが、何かを感じたのか素早く手配するためだろう、部屋を出た。
クリスはそれを見て今度はエラへ向き直る。
エラは何処か先ほどよりもすっきりした様子に、真っ直ぐに彼を見た。
…大丈夫だ。
「今日はわざわざすまなかった」
そう一言、言うクリスにエラは緩く首を振りいいんですと言った。
そのまま背の高いクリスを見上げ優しく笑む。
「それでは、失礼させて貰います」
そういって返事を聞かずにその部屋を出た。
パタンと背でドアが閉まる。目の前にスッと城の人が来てご案内しますと静かに告げる。
エラはその背を付いて歩きながら、思う。
…─きっと、あの人は彼女を支えてくれる。
そう、願った。



一人残ったクリスは、彼女が出て行った扉をジッと見つめていた。
肯定されたようで否定された問い。
抱く、違和感。
クリスはグッと目をつぶると、立ち上がった。
この部屋の唯一の扉、先ほど彼女が出て行った扉へ手をかける。
──確かめなければならない。
クリスはドアを開けて駆けだした。
…彼女と出会ったあの森へ。
その後ろ姿を見送るように、パタンとドアの閉まる音が小さく響いた。



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