もう一人の少女 20


明日香の言葉に、驚いたのはエラだった。
「アスカさんっ!?」
驚くエラを見て、明日香は優しく微笑む。その笑みを見てエラは言葉を飲み込んだ。
酷く穏やかで、しかし何処か儚い…笑み。
明日香はもう、決めた。ヒューに断られたとしても、雇ってくれるところをまた探せばいい。
ここに、この世界に居ることを選択してしまった。
その為には、しっかりと進んでいかなければならない。
幸い、ヒューは反対しなかった。頷いて肯定を示す。
「良いだろうただし、怪我が治ってからだからな」
笑ってそう言ったヒューに明日香も感謝の意を込めて笑い返す。
そこで声を上げたのはまたエラだった。
「…ヒューさん、働くなんてっ」
「エラさん」
狼狽えるエラに、マーサが優しく声をかける。
エラは眉を寄せた顔でマーサを見た。
マーサがその顔を見て、横に軽く首を振る。
「話は聞いていたでしょう?アスカさんには今身寄りが居ない。
 アスカさんの判断は正しいです」
「でもっ…」
エラは声を詰まらせて、明日香を振り返る。
その顔は、なんだか縋るようで明日香は少し可笑しくなった。
自分と同じ顔の少女は、しかしとても可愛い。
心配してくれるのを感じて、明日香は笑った。
手を伸ばして、その頭を軽く撫でる。
「心配しなくても大丈夫。
 エラだってグランの所に行くでしょ?私の心配なんかしてる場合じゃないよ」
少しふざけてそう言った明日香に、エラはまだ眉を寄せたままだったが、躊躇しながらも納得を示してくれた。
その二人の様子を見て、呟きをぽつりと落としたのはヒューだ。
「…しっかしまぁ、本当に見分けが付かないな」
その言葉で、明日香とエラはクリンと一緒の動きでヒューを見る。
それが可笑しかったのか、声を上げて笑い出した。
ヒューの笑い声が響く中、首を傾げる二人を見てマーサが言う。
「確かに、今はアスカさんが首に包帯を巻いているので分かりますが、取ったら少し困るかもしれませんね」
考えるように、そう言ってジッとみてくるマーサに明日香は少し俯いて考えを巡らせる。
確かに、同じ顔、同じ色の瞳と髪。
同じ背丈に体型。
髪の長さも同じくらいだ。
これでは着る服くらいでしか違いがない。
確かに不便そうだ。
─そして、俯いた視界に映ったものを見て、明日香は良いことを考えついたとばかりに顔を上げた。
その様子にヒューは笑いを止め、マーサやエラも明日香を見る。
「私、髪切ります」
その唐突さに、沈黙がしばし降りた。
良いことをお思い付いたと明日香は笑っている。
そこに、マーサが恐る恐る声をかけた。
「切るって、良いんですか?」
この少女が自分たちが見分けを付かないと言ったので違いを作ろうと言い出したのは話の流れでわかっれいる。
マーサは、明日香の手入れの行き届いている髪を見て眉を寄せた。
しかし、明日香は明るめに笑いながら言う。
「はい。ここで働くなら長い髪は邪魔だし、確かにこのままだと困りますから」
簡単に明日香は言い切る。
もう自分は、エラになることはない。きっとこの先困ることになるだろう。
髪に特に執着はない。
見分けてもらえる方法は必要だ。
三人は納得したのか、していないのか微妙な顔をしている。
それを見て明日香は苦笑いした。
迷いの無い顔に、マーサがため息を吐き出してゆっくりと席を立つ。
「…私が切って上げましょう。綺麗な髪なのにもったいないですけど」
明日香は褒められて、少し頬を赤くした。
自分の持っているものが褒められるのは嬉しい。
マーサに続くように明日香も立ち上がり、ヒューとエラを振り返る。
エラはやはり何処か心配そうにこちらを見つめて入て、安心させるようにヒラヒラと手を振った。
…──これで一つ新しく居場所を手に入れた。
ここの裏で切りましょうかとマーサが言って裏口から出て行くのについて、明日香もまた酒場の中を後にする。
その後ろ姿を追って既にしまったドアを見つめながらエラはぽつりと言葉を落とした。
「…心配、です」
「そうだな」
何処か、気を張ったように脆く笑う明日香に、エラはゆっくりと目を伏せる。
ヒューはよく知るこの少女の気持ちをくんで、大きく笑みをその顔に作った。
「きっと大丈夫だ。あいつは強そうだからな。
 エラ、お前は早くグランの側に居てやれ」
そうヒューが言って、エラが少し顔を上げて頷いた時、それは叩かれた。
ドンドンと、酒場のドアが強めに叩かれる。
乱暴な客にヒューは眉を寄せたが、叩かれ続けるドアに渋々その腰を上げた。
ドアまで歩き、勢いよく開ける。
「…どちらさ──」
そこでヒューの言葉は途切れる。
彼の目の前には、騎士の格好をした男がたたずんでいた。

「…城の騎士がここに何のようだ?」
その騎士の制服は、城のものだった。
ヒューは先ほどの明日香の話を思い出し、顔を顰めた。
今、彼女たちが城の者と接触するのはあまり良くない。
騎士はジッと厳しい視線で見てくるヒューに口を開いた。
「ここにエラ≠ニいう娘はいないか」
「…何故だ?」
案の定出てきた言葉にヒューは視線を鋭くして問い返す。
「王子から話があるそうだ。城へ来て貰いたい。
 家族の者に聞くとここに居るのではないかと言われたのでな」
騎士がそう言うと、ヒューは眉を寄せる。
エラを探しているのは何故か。
連れて行く気なのか、話をするだけなのか。
どちらにしろ、簡単には許せない。
「…わる」
悪いが、と言おうとした言葉は遮られる。
背後から響いた少女の声で。
「ヒューさん、私いきますよ」
「…おまっ」
自分の前に押し出てきた少女にヒューは困惑する。
少女は真っ直ぐに騎士を見た。
騎士もまた少女へ視線を落とす。
「…あなたがエラ≠ゥ?」
「はい、私です」
「おいっ、エラ!お前、待て!」
止めるヒューをエラは振り返って、優しくその顔を見て笑んだ。
その表情に、ヒューはグッと眉を寄せる。
この娘の気質は知っている。もう一人の娘も本質は似たようなものだったと先ほど感じた事を思い出してため息を吐き出す。
「…グランは?」
「ヒューさんが見ていて上げてください。
 …側、離れたく無いと思います。けど、私は知らない間にアスカさんに一杯助けられました。
 今は、彼女もここにいます。今度は私の番だと、思うんです」
そう言って、エラは笑った。
なんのために呼ばれるかは分からない。
それが、どちらの王子かによっても事態は変わる。
不安定な様子の彼女に、この知らせは聞かせるわけには行かない。
「ヒューさん、後はよろしくお願いします。直ぐ戻ってきますから」
そう笑んで、エラは酒場の前に止められていた不釣り合いな馬車へと乗り込んだ。
そして、その戸が閉められ、ゆっくりと動き出す。
馬の蹄の音と、その馬車の小さくなっていく姿を見てヒューはため息を深く吐き出す。
「…お前らはお人好し過ぎんだよ」
そう落とされたヒューの言葉は虚しく響いて消えた。

一人の少女が居なくなった酒場に、ドアが開く音がする。
聞こえてくる、二人の女の話し声。
やがてその姿を酒場へと現した二人の内の一人の少女は肩口で切りそろえられた髪を揺らし酒場を見回して首を傾げた。
「あれ、エラは?」
案の定な少女の問いに、ヒューは苦笑いを漏らして誤魔化すべく口を開く。
自分も相当なお人好しだと、内心で気が笑いを漏らした。



馬車に乗り込んだエラは、その中にいた男性を見て瞬きをした後小さく頭を下げた。
男性もそれを見てお辞儀を返し、座るように促す。
エラは男性の正面に座って、ほんの少し覗うように顔を覗かせた。
しかし男性と目が合い、逸らすわけにも行かず困ったように笑う。
「初めまして、トルトンと申します」
「…初めまして、エラ、です」
優しげに笑った男性に、エラはほんの少し胸をなで下ろしてそう言ったのだった。



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