もう一人の少女 19


暗闇の中、手を伸ばす。光のない空間なのに、何故か自分の身体だけははっきりと見ることが出来ていた。
白い手が、闇の中に伸ばされていく。
──何を、求めているのか。
暗い、暗い孤独な闇の中。
求めるものは、何なのか。
──温もりだ。
人の、暖かさ。包み込まれるような、そんな──…。
浮かぶ、両親。暖かな笑顔、声、温もり。
私の居場所…。
横たわる顔にかけられた白い布。青白い冷え切った手。
──……もう、ない。
呟かれる、呟き。
…無くした、居場所は。もう何処にもなくて。
手を伸ばしても、届かない事は痛いほど分かっている。
帰りたいのかい
その言葉に、頷かなかった。だって、私の居場所は何処にもない。
…ない、なのだ。
…ぇ、ら…
呼ばれない、自らの名。自分じゃない人を望んで自分に伸ばされた手。
シンデレラ
そう、呼ばれる自分。違う、これもまたもう一人の少女への名。
笑いかける、街の人。
私を見て、私のものではない名で呼ぶ人々。
ここまで似ていたら同じか
あぁ、分かっている。私はこの世界には望まれない。
私を知る人は、一体何人いるのか。
浮かぶのは、自身と同じ顔をもつ少女とその少女に寄り添う青年の顔。
アスカさん
呼んでくれる名。
しかし、そこは私の居場所ではないのを分かっている。
ここにもまた、私の居場所は…ない。
何かを求めるように伸ばしているこの手は、何を掴みたいのか。
何かに呼ばれるように、その影を求める手は、何なのか。
自分が、良く分からなかった。
─…エラ
違う。
─…アスカさん
違う。
─…シンデレラ
違う。
─…お嬢さん
違う。
─…小娘
違う。
頭の中で自分を呼ぶ声がいくつも響く。
求める声はどの声だろう。
どの声も、違うと分かるのに、見つけられない。

暗闇が晴れていく。
ぼんやりとしていく視界。
見えたのは、少ししか時間を過ごしていない、しかし印象の強い…

あぁ、そうだ。
ここで唯一、私自身を一人として見ていてくれた人。
真っ直ぐに、射貫くその強い瞳。
夜に月明かりを反射して光る髪。
そして一度も…、私を呼ばなかった人。
──だから見つけられない。
…まだ、一度も……。



ぼんやりと、視界が開く。朝の日差しが、眩しかった。
霧がかかったように、はっきりとしない意識で、ただその光を見つめる。
…何か、夢を見ていた気がした。
はっきりとしない、暗い…?
その時、ギィと足下の方で音がした。
視線をそちらへ向ければ、そこには安堵の表情で駆け寄ってくる一人の少女。
「アスカさんっ!」
「…エラ?」
ギュッと手を握られる。
そのあまりに必死な様子に首を傾げた。
そんなに心配させるような事があっただろうか。
明日香はそう重い昨晩の記憶を頭の中で巡らせて眉を寄せた。
流れる血に、聞かされる過去。
けして良い記憶はない。
そして連れてこられた、エラの部屋に魔女…。
そこまで思い出して明日香は眉を寄せた。
そう言えば、あの時頭がぼんやりしてきて。目の前が霞んで。身体の力が抜けてきて…?
「アスカさん、あなたは昨日血を流して貧血で倒れてたんです」
「貧血?」
聞き返せば、エラは怒ったように眉を寄せた。
「首に刃物で切られた様な傷が原因です。
 他にも顔は殴られたように腫れていましたし、お腹には大きな青あざが出来てます。
 何でそんな怪我をしたんですか!」
そう言われた思い浮かんだのはレオナルドだった。
そう言えば、と思う。なんだか昨日のことなのに昔に起こったことのような不思議な感覚だ。
昨日のことなのに。
しかし、言われてみたら体中あちこちがズキズキと痛む。
そっと、首を触れば包帯が巻いてあった。
切られたのそのままだったからなぁ…。
そう思ったが、血で思い出しバッと顔を上げてエラを見上げた。
「グランはっ!!あってきたの!!?」
エラはその勢いに押されて身体を引いたが、直ぐに泣きそうな顔になった。
その顔を見て、胸が痛む。
ギュッと歯を食いしばった。
「…大丈夫だそうです。まだ目は覚めてませんが、もうすぐ意識も戻るだろうと」
そう言ってエラはギュッと目をつぶる。
そして震える手で再度明日香の手を握ると、小さく「助けてくれてありがとう」と告げたのだった。

明日香はその後、ここがヒューの酒場の上にある客室だと聞いて焦った。
この場には自分とそっくりなエラも居るのだ。
どう説明したのかと、そう問えばエラはまだ何も説明していないと言って苦笑いした。
それもそうだ、どうやって説明しろというのか。
第一に、エラは何も知らない。説明できるはずも、ない。でも彼女には全てを知る権利がある。
だから明日香は自分から説明することを名乗りでた。
「…本当に見分けが付かないな」
階段を下りた先、そこにはがらんとした酒場が広がっていた。いつもの喧騒はなく、そこには沈黙が降りている。
その部屋の端。
大きめのテーブルに、二人は座っていた。
明日香はその二人をみて、目をつぶる。
昨日の晩、助けを求めた二人だ。既に顔見知りである彼らはヒューとマーサと言うなでこの酒場を経営している。
グランの手当に、自分まで。そして同じ顔の人間と出会うという事態だ。
それでも何も言わずに手を貸してくれたのだ、感謝してもしきれない。
そして落とされた呟きを、明日香は少し苦い気持ちで受け止めた。
真っ直ぐと二人を見据えて口を開く。
「…初めまして、明日香と言います。
 昨晩は本当にありがとうございました」
その言葉を聞いて二人は緩く首を振り、エラと明日香を交互に見比べた。
ただ二人にはただの物珍しさだけがある。
それを感じて明日香は負の感情がないことに少し安堵した。
「あんたはもう大丈夫なのか?」
しっかりと自分へ向けられた労りの言葉に、明日香はゆるゆると首を振った。
顔の腫れは冷やしておいてくれたのか引いているし、確かに鈍い痛みはするが動けないほどではない。
それよりもと思い、明日香はしっかりと前を見据えた。
「ちゃんと、説明しなくてはならないことがあります」
凛としたその声に、その場にいた三人は、姿勢を正して明日香の声に耳を傾けたのだった。



話し終わった明日香は、緩く息を吐き出す。
「…以上です」
全てを話せたわけではなかった。
言えない部分もある。自身が異世界から来たと言う事はもちろん話せなかった。
それでも、到底信じられる話ではない。
明日香はギュッと目をつぶった。
反応は無い。
しかし、明日香にはもう一つヒュー達に対して頼みたいことがあった。
この世界に、居るべき所がない自分には必要なこと。
全ては終わったのだ、このままで居るわけには行かない。
エラはきっと先に進む。
そこに私は邪魔になるだけだ。
「ここで、少しの間で良いです。働かせていただけませんか」
そう言って、明日香は頭を下げた。



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