深く、暗い 17


視界を覆っていた目にいたいほどの光が、段々と消えていく。
それにを閉じた目蓋の向こうに感じて、明日香はゆっくりと目を開いた。
室内はあの馬鹿みたいに豪華なレオナルドと居た部屋ではなく、粗末な藁布団のベットのある部屋。
紛れもなくこの数日明日香が過ごしたエラの部屋だった。
明日香は目の前に立つローブの影を睨み付ける。
チラッと確認したがエラは藁布団のベットに寝かせられていた。
この空間にいるのはその三人だけだ。
「…最低。ホントに最低だね、魔女」
重い沈黙を破ったのは明日香のその鋭い声だった。
魔女は可笑しそうに明日香を笑う。部屋の中に魔女のクスクスという笑い声が響いた。
明日香の脳裏をかすめたのはさっきのレオナルドの茫然と立ちつくした姿だ。
ギュッと唇を噛み締める。
「…何が、したかったの。本当にいろんな人を傷つけて」
手を、いつかのように握りしめる。自分が結局無力なのを思い知らされる。
誰も結局助けることは出来ないかったのか…。
魔女は笑みを深め、笑った。
「強いて言うなら、見たかったのかねぇ?
 逃げようと藻掻きながらも進む人間の姿をさ。中々興味深いものだよねぇ、人は」
明日香は目の前に居る人間という枠から大きくかけ離れた存在を睨み付けた。
分かっている、この存在には適いはしないのだ。
大きすぎる力を持つ、この魔女には。
そしてそれ故の、その人を簡単に壊していく暴虐さはきっと私たちからは防ぎようが無いのだ。
魔女の気分に左右されるそれはいわば、自然災害のようなそんなものなのだ。
明日香はそんなことを頭の隅で考える。
だからといって許されることでも許して良いものだとも思わない。
そこに、必ず怒り、悲しみ、絶望、沢山のものがあるのを知ってしまった。
明日香は魔女に向かって一歩を踏み出す。
そして、大きく手を振り上げた。
視界に移るのはやはりクスクスと笑う魔女と。その顔に振り下ろされていく自らの手だった。

乾いた音が部屋に響く。
今日、二度も人を全力で殴った手はやはりじんじんと鈍い痛みを訴える。
…─顔を殴られた魔女は、殴られたそのままの状態でやはりクスクスと笑っていた。
「何が、可笑しいのよ!」
魔女は、笑う。
本当に楽しそうに、嬉しそうに。
「明日香、お前はやっぱり良いねぇ。連れてきて良かったよ」
魔女はそう言って、また笑う。
明日香はギュッと口元を引き結ぶと、また手を勢いよく振り上げた。
乾いた音が再度響く。明日香はそれを何処かぼんやりしてきた意識の中で聞いた。
「…ほんと、最低だわ」
手が痛い、頭がぼんやりする。
それでも明日香は目から力を抜かず魔女を睨み続けた。
その気丈な様子に魔女は声を止めると、ゆっくりとそれでも笑んだ顔のまま明日香を見る。
「お前はもう、ここの住人だよ。…それとも帰りたいかい?あの場所に」
突拍子のない言葉は、あまりここに来て考えたことがなかったことで。
明日香は、少し魔女への感情を忘れ考える。
…─帰りたいのか、あの場所へ。
居場所の無い、あそこへ。
明日香は思い出す。
『誰があの子を引き取るんだ』
誰かが呟いて落とした言葉。
いらないものを見る視線。
突きつけられる、陰口。
『…ぇ、ら…』
私を見てそう落とした、その名。
私を呼ぶ、シンデレラという言葉。
私の、存在する場所。頭がくらくらした。
明日香は、ギュッと目をつぶる。
「別に、帰りたいとは思わない」
魔女はその言葉に満足したのか、笑む気配がした。
明日香は目を開け、魔女を見据えた。
これだけは言わなければいけない。
「…満足したの」
「あぁ、したねぇ。楽しかったねぇ」
コロコロと笑う魔女を明日香は何故か霞んできた視界でギッと睨み付けた。
言わなければ、これだけは。
「もう、私たちに関わらないで!
 …満足したのでしょう?ならもう勝手な手出しはしないと誓って」
魔女は一瞬意外そうに目を開いたが、ふむっと考えるように首を傾げ、しかし直ぐにニッと笑う。
明日香はそれを見て、眉を寄せた。頭痛がする。
「…まぁ、良いだろう。しばらく≠ヘ大人しくしてあげるよ」
しかし、返ってきたのは固定で。
明日香は安堵して、肩を落とす。…その油断からか、身体がぐらりと揺れた。
霞む視界、ぼんやりとする頭、力の入らない…身体。
「…本当に、人間は面白いねぇ」
魔女の呟く声が遠くで聞こえたきがした
……かすかに見えた。魔女の笑みは、何処か穏やかに凪いだ笑みだった。
そして、明日香の意識は闇へと落ちていった。

月が、闇を照らす。
雲は風に流され、掻き消えその闇には一つの光だけが存在していた。
その光は、カーテンの開いた部屋の中までも明るく照らし付ける。
まとめられていないカーテンが外からの風でヒラヒラと揺れた。
そしてそれは、室内のベットに横たわる女の身体を撫でて取りすぎる。
ベットに寝るその女は入り込んだ寒さに身震いしてゆっくりと目を開いた。
ぼんやりとした、寝起きのその意識の中でいつの間に自分は寝たのだろうと考える。
しばらくぼんやりと考え込んでいた女は、ついさっき起こった場面を思い出し、一気に目を見開いて起き上がった。
「っあ…!」
しかし、視線を巡らせたそこは何故か自分の部屋で、小さく首を傾げるがその中で視界に入ったものを見て目を見開く。
部屋が薄暗くて気がつくことが出来なかった。
どうして、何故っ!
「いやあぁぁぁ────っ!!!!」
女─…エラは甲高く、悲鳴をあげる。
その視線の先には首から血を流した明日香が意識を失って倒れていた。



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