深く、暗い 15
黒ローブから発せられる声は何処か気味が悪く、一方で何か引きつけられるような響きを持ってレオナルドに届く。
覗く歪んだ口元が緩く弧を描き、レオナルドは息を詰まらせた。
「何、を…?」
レオナルドの様子を見て黒ローブの笑みが深まる。
それは、何か獲物を見つけた肉食獣のように鈍い喜びを持って。
その気配にレオナルドは恐怖を抱く。
「…哀れな子供、レオナルド」
「あ、われ?」
聞き返すがその言葉の意味が理解できなかった。
ただ感じた負の感情と、聞き慣れない響きはレオナルドに不安をさらに抱かせる。
「お前とクリストファーの向けられる感情の差は侮りだよ」
また、分からない言葉。
ただ、この黒いもやの正体が明確になって自分に突きつけられていく。
「わからないかい?
正室の子にして王位第二継承者レオナルド」
分からない、分からない。この黒ローブは何を言いたいのか。なにを、僕に知らせようとしているのか。
ただただ、感じる純粋な楽しむような感情が。
「側室の兄に全てを奪われたかわい可哀想な子」
悪意を持たないそれが、とても恐ろしくそれを僕に見せつける。
分からない、分からない分からない!僕は、そんなことを知りたい訳じゃない!
表情が、心が凍る。その言葉を拒絶する。
「違う、お前が今求めたのはこれだ
周りに期待されない、孤独なレオナルド」
「…い、いうな!ちがうっ僕は、ぼく、は」
それ以上聞きたくなかった。
言えば言われるほど湧き上がってくる得体の知れない感情が、心を乱す。
黒ローブは笑った。
可笑しそうに、愛おしむように。
先ほど浮かべた笑みとのその差にレオナルドは気の抜けたようにその口元を見た。
…─感情が、凪いでいく。
「よく覚えておくんだよ。
私は魔女、全てを知るもの。お前を理解できるのは私だけだよ」
それだけ言い残して、その黒ローブ…─魔女の姿は一瞬にしてその場から掻き消えた。
風が舞う。それはレオナルドを撫でて通り過ぎて。
その場には信じられないものを目にした幼い少年だけがポツンとしばしたたずんでいた。
「婆の言葉を理解するのは簡単だった。
さすがに最初は逃げたさ、でも時が経つにつれそれはごくごく自然に僕に突きつけられた。」
レオナルドは笑う。
可笑しそうに、どこか何かが欠落した笑みで。そして魔女に視線を向けて、フッと目を細めた。
「あの頃は、今では笑ってしまうほど僕は馬鹿だった。無いものを手に入れようと可笑しいほどに足掻いていた」
自分を嘲笑するような自虐的な笑みを浮かべてレオナルドは言う。
明日香は強く手を握る。きっと、レオナルドはこんな風に歪まなかったはずなのだ。
「そうだねぇ、あの頃の必死な様はとても滑稽≠セったよ」
…──魔女からの干渉さえ無ければ。
しかし、レオナルドは魔女の言葉に同意するように頷いて言う。
「あぁ、そうだろうな」
何処か空虚な空しさを含んだ声だった。
レオナルドは成長するにつれ段々と理解するようになっていった。
魔女の言葉、周りの視線、いろいろなものを。そして、自分が望まれていないことを理解していた。
期待され教育される兄、期待されず最低限の教育しかされない自分。
側室の王位第一継承者と正室の王位第二継承者。しかし、ほぼ確定された時期国王の座。
正室の子というレオナルドの立場は、争いの火種を持っていた。
レオナルドの意志には関係せずに。
だからこそ、自分は教育されないのだと思った。知識を持つもう一人の王子は火種を大きくする可能性があるから。
そして、周りのものは兄と自分が近づくことを望まなかった。
自分には才も知識も無く、貴重な兄の時間を自分が奪うわけには行かなかった。
レオナルドは魔女の言葉を信用した訳ではなかった。全てが真実ではないと思っていた。
─…兄は、自分を理解してくれていた。
「兄様!」
レオナルドは庭園のベンチに腰掛けたクリスに駆け寄った。
クリスはフッとレオナルドを見るとヒラヒラと手を振る。
レオナルドは感情を表に出すのが苦手なこの兄が好きだった。
いつも不器用に優しい兄様。
褒めてくれる兄様。
変わらず自分を見る兄様。
「レオナルド、そんなに走るな」
やんわりと笑いながら頭を撫でてくれる。
それが心地よくて、その手に自分の頭をすり寄せる。
─…しかし心地良い時間は続かない。
「殿下、時間でございます。書室でトルトン様がお待ちです」
侍女の声で、会話は途切れクリスはゆっくりと立ち上がってレオナルドの頭に再度手を置いて撫でた。
優しげに触れるそれはしかし直ぐに離れて。
「…最近無理をしているそうだな。身体、壊さないように気をつけろ」
心配そうに告げられたその言葉が、どうしようもなく嬉しくて仕方がなかった。
…頑張らなくちゃ。
「大丈夫です兄様。兄様も気をつけてください」
その言葉にクリスは困ったように眉を下げて、頷いた。
…─見送る後ろ姿。その兄様に近づきたい。
横に、堂々と並んで歩けるように。
だから、頑張らなければならないのだ。追いつけるように、人一倍努力しなければ。
レオナルドは、自信の持つ火種を理解しながらしかし、その兄に追いつくために自信から進んで努力した。
寝る間も惜しんで、本を読みふけった。
もちろん周りからは心配され、止められた。無理をするなと。
兄の役に立つためと明言し、教師達の時間を貰い勉学に励んだ。
自分を認めて貰うために。
同じ場で学べるようになるために。
兄と、並んで歩けるようになるために。
ただその為に、レオナルドは血の滲むほどの努力を重ねた。
そしてその努力は実る。
10代にしてクリストファーとレオナルドの二人に初仕事が回ってきたのだ。
レオナルドは兄と共に初めて役目をもらえたことに喜びを覚えた。
兄と二人で取り組むものだったが、それ故にやっと実ったと、努力は報われたのだと思った。
それ故に、全力で取り組み生活の全てをそれに注ぐ勢いでレオナルドは仕事に打ち込んだ。
順調に進むそれは、途中トラブルも起こったが兄と協力しつつ何とか規定の期間内に処理までが完了した。
そのときは何とも言えない達成感と、幸福に満ちたことだった。
あれほど満たされた気分になった事はない。
そして、変化が訪れたのは王座の前での父上への報告の時だった。
「二人とも、良くやった」
王は最初に一言だけ、そう言った。
報告を終えたクリスとレオナルドを満足そうに見やり、薄く笑みを浮かべる。
「お褒めの言葉、光栄に思います」
「父上のご期待に添えて大変嬉しく思います」
そう返した息子達にさらに王は笑みを深めた。
満足そうに、何処か誇るようにしながらゆっくりと視線を二人に巡らせ、それはまずクリスに止まる。
「まずクリストファーだ。良くやったな、今後も精進は怠るな。次にも期待している」
「はっ、ご期待に添えますよう努力いたします父上」
期待といとおしさに満ちた表情で王はクリストファーを見やり、そしてその表情はからかいを帯びる。
「クリスよ、だから城を抜け出して城下を見て回るのも良いがほどほどにしておけ」
「……何のことか、存じ上げません」
目を反らしながら言ったクリストファーに王は可笑しそうに笑う。
そしてその視線は次にレオナルドに向けられる。
「お前もだ。
随分無理をしていたようだったからな。これからも身体に負担を掛けない程度に頑張るようにしろ」
感じてしまった差は何なのか。
「…はい、父上」
そう返した僕に父は笑って頷いた。
掛けられる言葉に感じてしまうこの差は何なのか。期待を、次の言葉を掛けられる兄。
次への期待を掛けられない自分。魔女の、言葉がよみがえった。
周りに期待されない、孤独なレオナルド
何故今、その言葉が頭に浮かぶのか。
違う、違う僕は違う!だって、この仕事を任されたじゃないかっ。
立派にやり遂げて、父上から褒めていただいたばかりではないか。
何故、そんな風に思う?努力は実ったんだ。僕は…。
立ちつくす自分に気がつかず会話を続ける父と兄。
…─その姿が、随分と遠く見えた。
フッと父の視線が自分に向けられる。
「…どうした?」
そして気がついた、名を一度も呼ばれぬ自分。
まだ、まだなのか。
「…何でもありません」
まだ追いつけないと、足りないというのか。
…──その一ヶ月後、レオナルドの母である王妃が、病により倒れた。
兵士が、後ろを足っておってくる。しかし、足をゆるめる気にはならなかった。
全速力で王宮内を走る。目指すのは自らの母の部屋。
レオナルド様!王妃様がお倒れになられましたっ
その知らせは、急だった。いつものように書庫で本を読んでいたときのことだ。
バタバタと騒がしく走る音が聞こえ大きく音を鳴らしてドアを開けて現れた兵士から飛び出したのは自分の母の倒れたという知らせだった。
それを聞いた瞬間、レオナルドは走り出して書庫を飛び出した。
母上、母上母上っ!
昨日までは元気だったはずだ。元気に笑みを見せ会話を交わした。
それが、何故。
大きな病を持っていたとは聞いたことがない。
何故何故、とそればかりが口から漏れる。嫌な予感が、想像が頭の中を駆けめぐった。
バンッと音を立てて開いた扉の向こう、視界に移ったのはベットに横たわった母だった。
「母上っ!」
急いで側へ駆け寄る。室内に居た医師と侍女は止めなかった。
声を掛けても母は反応しない。
しかし、赤みのある安らかな表情は微笑んでさえいて、ただ眠っているだけだと思った。
安堵に胸をなで下ろして、その側へ腰掛ける。
「母上、寝ているの?心配したよ」
声を掛けても母は反応しなかった。それに眉を寄せながら、疲れているのかと考えを巡らせる。
そんなに疲れていたのだろうか。
いつもなら声を掛ければ少しは反応してくれるというのに。
「レオナルド様」
声を掛けてきたのは医師のだった。
その暗い表情に、母が何か大きな病でも持っているのかと心配になる。
確かに急に倒れた事と良い、もしかしたら何かあったのか。
医師が重々しく口を開き落としたことばをレオナルドは信じられない思いで聞いた。
「王妃様は、レオナルド様が到着なされる10分前にお亡くなりになりました」
これ以上ないほど、その言葉で目を見開いて言葉を失う。
母へと視線を移せば、そこのは眠っているような安らかな表情の母がいて。
「…ウソだ」
ぽつりと呟いた言葉は小さすぎて誰にも届かなかなかった。
医師が何か話しているがもうそんな物は耳に入らない。
恐る恐る、その白い母の手へと自分の手を伸ばす。
…─握ったその手はヒンヤリと冷え切っており、人の体温は全く感じることが出来なかった。
そ、んな。
「…は、はうえ」
嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だウソだウソだうそだうそだっ!
母上が死ぬはずがない。
僕を置いて、こんなに早く逝くはずがない!
しかし、いくら強く手を握っても声を掛けても母が目を覚ます気配はなくて。
フッと、背に暖かい手が添えられた。
顔を向ければいつの間に入ってきたのか兄が居て。
自分の背を慰めるように撫でると、悲しげに目を伏せた。
その動作に思い知らされる。
…母上は、もう居ない。
「っうわあぁぁぁあぁぁああっぁぁぁあ!!!!」
レオナルドは、その事実に悲痛に叫び声を上げた。