終わりの一夜 11
──彼を見た瞬間、私は、あぁ失敗してしまったんだな、と思った。
だって、金髪碧眼に整った顔立ち。品のある雰囲気に、身にまとうものの豪華さ。
見た瞬間に王子様≠セ、と思ったの。
そして、彼女の──…アスカの言葉も思い出したの。
王子と関わったらきっとエラはグランと居られなくなる
「……あ、あなたは、誰?」
それはちょうどグランが水を取りに部屋から居なくなったときだった。
誰もいないはずの部屋に声が響き、目の前に突然ローブを被った老婆が現れたのだ。
「私?お前はアスカとか言う小娘に聞いているんじゃないかい?」
その言葉に、エラはこの前に明日香が言っていた言葉を思い出し、思わず言葉に出した。
「──魔法使いさん?…でも、そんな…まさか」
「そのまさかだよ」
予想していなかった肯定の言葉にエラは目を見開き、固まった。
──いけない、アスカさんに注意されていたのだわ。
お城には、魔法使いさんに言われても行っちゃ駄目なのよね?
「…今夜は特別に教えに来て上げたよ。シンデレラ≠ェもう少しでお前のあの家に戻ってくる。
けどね、死に関係するほどの怪我人がその時にでるよ。お前が行ってあげれば助になるんじゃないのかい?」
「え…」
予想外の魔法使いの言葉にエラは固まり目を見開いた。
シンデレラ? それは私で、でもアスカさんが今代わりをしてくれているからアスカさんの事かしら。
私の家で、怪我、人が…?
エラは気がつかなかった。
──魔法使いの口元が大きく吊り上がっていたことに。
このとき気がつけば、もしかしたらエラがまた悲しみに泣くことは無かったのかもしれない。
「確かに伝えたからね」
「あ…」
エラは声を漏らし、消えた魔法使いに目を見開きながらも慌てたように外着を羽織った。
グランの家にたどり着いたアスカはその玄関で言葉を失っていた。
「い、ま何て……」
「え? だからグランはどうしたのって、エラちゃんついさっきグランと一緒に一度家に戻ってきますって行って出て行ったでしょ?」
対面している女性はおそらくグランの母親だろう。
着飾っていた服は走るのに邪魔で、支障が出ない程度に破ってしまった。
対応した女性は明日香の着ている服に顔を顰めながらも不思議そうにそう言っていた。
──家を、出た? しかも二人して。駄目、駄目よっ! 嫌な予感がするっ!!
「ありがとうございましたっ!!」
「あ、エラちゃん!!?」
背中に驚いたような叫び声を受けて、明日香はグランの家から焦ったように走り出した。
真っ直ぐにここ数日ですっかり見慣れたあの家を目指す。
──どうか、どうか間に合って……っ!!
一方のエラ達は既に家にたどり着いていた。グランが眉をしかめて口を開く。
「エラ、本当に来て良かったのか? 家から出るなって言われてたんだろ?」
「だって怪我をする人が居るなんて、心配じゃないっ! ほっとけないわ」
真剣な顔でそう言うエラにグランは呆れた顔をしつつもその瞳は愛しむように優しげにエラを見つめている。
「でも、一体誰がっ……あれ?」
「……なんだ?」
──…音が、する。…馬の、蹄の音?
二人はジッと音がする目の前の森を見つめ静かにその方向を見つめていた。
近づいてきてる…?
そう気が付いたとき、その視界にはもう既に白い毛並みの馬がこちらに真っ直ぐ向かってきているのが映り込んでいた。
パカパカと音を鳴らしながら馬を止め、目の前にヒラリと馬の背から降りてエラ達に姿を現したのはそう……─レオナルドだった。
明日香は森を駆けていた。
破り捨ててしまった服がバサバサと音を立ててなびく。
グランの家からエラの家までの道は分かっている。
ただ─…夜の闇に包まれた森は、急ぐ明日香の視界を遮っていた。
昨日の男は兄王子のクリストファー自身だった。
そして今日、踊ったのは弟王子のレオナルド。
─…よりにもよって王子二人共と接触してしまった。
イヤな予感がする。
明日香は歯を食いしばって、さらにスピードを上げた。
一方クリストファーは、城を出た後馬を使わずに自らの足で街を通り抜けて森の中を走る。
馬を取りに行く時間が惜しかった。
城から飛び出した彼女にとにかく早く近づきたかった。
彼女の家は、あの森の中の人家だろう。
城を脱走したときに、たどり着いたことがある。
─…早く、彼女に会いたい。
クリストファーの心は急いでいた。
昨日、抱きしめられなかった彼女を─…彼女の澄んだ瞳を、腕の中に。
その為に、ひたすら足を彼女に向かって動かした続けた。
クリストファーは知らない。
──レオナルドが城を出たことも、…馬に乗って、もう既に同じ姿の少女の元に姿を見せたことも。
「お嬢さん、迎えに来ました。一緒に城に戻りましょう」
にこやかに笑いながらそう告げたレオナルドにグランもエラもジリッと後ずさった。
グランはギュッと眉をしかめ、エラは困惑したようにレオナルドを見つめる。
その様子にレオナルドは不快そうに顔を顰めた。
「どうしました?」
「来るなっ!!」
咄嗟にグランがエラを背にかばってレオナルドと対立する。
その様子にレオナルドは鋭く目を細めるとエラに視線を移す。
エラはおそらく王子≠ナある、人物が突然この場所に現れたことに訳が分からずに困惑した表情を見せた。
その手がグランの服の裾を震える手で握っているのがレオナルドの目にとまる。
レオナルドはそのことに愉快そうに視線をグランに戻した。
「…あなたは方、もしや恋人同士か?」
「それがあんたに、何の関係がある」
グランが鋭く返す。
レオナルドの存在はここに酷く不自然であまりにも怪しすぎている。
警戒心を抱かせるには十分だった。
「あなたには聞いていない。
ね、お嬢さん?この男はあなたの恋人で一番大切な人?」
レオナルドは優しげに問う。
その表情もまたこの場の空気には酷く不釣り合いでグランは肌寒さを覚えた。
しかし、違和感を感じながらもエラは戸惑い気味に頷く。
「そ、うです。彼は私の大事な人。…それよりもあなたは一体?」
「おや?今さっき城でお会いしたのにおわかりにならない?…それにしても」
レオナルドはそこで言葉を切ってクスクスと嘲笑するように静かに笑い出す。
エラは混乱した。
城に行った覚えもなければ、この男性に会った覚えも無い。
だとしたらあったのはアスカだ。
しかし、城でアスカとあった人が何故ここにいるかも、何故そんな事を聞くのかも理解できなかった。
レオナルドは笑いながら小さく口を開いた。
「本当に、恋人が居る人間に心酔するとは何て愚かなのだろう」
その呟きは小さすぎて二人の耳には届かない。
ただ、笑い続けるレオナルドが肌寒い者を感じさせて小さくエラは身震いした。
グランもまた同じものを感じて、エラに家に戻ろうと声を掛けようと口を開くがそれを遮るように声が響く。
「僕はあなたに恋人が居ようが構わないが、一人苦悩する人が居る。それも愉快だ。
だが、それだけじゃつまらないだろう?僕はもっと苦しんで欲しいんだ」
レオナルドは残酷な笑みを浮かべる。
その視線は何処かを睨み付けながら虚空を見つめていた。
「それがどうした!俺たちには関係の無い事だ。
エラ、早く家に戻ろう。あんまり遅いと母さんも心配する」
そう言ったグランはエラの背を押す。
早足にここから…─レオナルドから一刻も早く離れようと足を動かし始める。
エラも抵抗することなく足を進め、去り際にチラリとグランの肩越しに背後に視線を向けた。
刹那、顔を強張らせ気がつくと大きく喉を振るわせていた。
「グランッ危ない!!!」
エラは月に照らされた鋭い光がこちらに突き出されるのを見てしまった。
グランはエラの声にハッとして咄嗟に身を捻る。
「気に入らない」
低い声が耳を震わせた。
それと同時にグサッというイヤな音が耳に届く。
「っぐぁ…、かはッ」
グランの口から血が溢れ出した。
耳に届く苦痛に唸る声が鼓膜を揺らす。
エラは茫然と立ちつくした。
…血…?
目を見開いて、そして赤黒いそれを確認した途端に叫び声を上げていた。
「嫌、嫌ぁ──────ッ!!!!」
「…エ、ラっ… 逃げっ」
苦しげに言うグランの腹には剣が突き刺さっており、そこからポタポタと鮮血が地面へとしたたり落ちる。
腹を貫通した剣は次の瞬間勢いよく引き抜かれ、そこから血飛沫が周りに飛び散った。
グランはその勢いに地面へと崩れ落ちる。
エラはグランへと駆け寄り、しゃがみ込んで何とか出欠を止めようと傷口を押さえるが、血は止まらずエラの服を真っ赤に染めていく。
「嫌、嫌!!
グランっ誰か、誰かぁ!!」
訳が分からない。
どうしてグランが刺されるの。
どうして、な…ぜ。
エラは、泣きながら必死に助けを呼ぶが無情にも答えるものは居らずグランの血は流れ出ていく。
「いけない、汚らわしい血で折角の服が汚れてしまう」
そう言ってグランにしがみつくエラをグランからレオナルドは引きはがす。
エラは腕を振り払おうと抵抗しながら掴まれていない方の手を必死にグランへ伸ばす。
その様子に、レオナルドは苛ついたように眉を寄せチッと舌打ちした。
「やっと邪魔な者が居なくなったというのに…全く。さぁ、早く城へ参りましょう」
「嫌、放してっ!!
グランが、グランがっ!!」
「放っておけば良いい。そのような庶民など、あなたは僕の妃になるのだから」
そのあまりに無情でそして信じられない言葉にエラは言葉を失った。
グランを刺した相手と結婚するというのか。
私、が。
そんなの嫌よ。
ここにグランを置いていけというの。彼を刺したあなたが。
エラは目を涙でぬらしたまま、いっそう抵抗の勢いを強くして暴れ出した。
暴れながら戻ろうとするエラにレオナルドは痺れを切らした。
エラを抱き上げて強引にその場から歩み出す。
エラは出来る限りジタバタと抵抗し、悲痛な声を上続けた。
「嫌、嫌よ!!
グラン───っぁ…!!」
エラは突然の首筋への衝撃に小さく声を漏らし、その途端だらんと全身から力が抜け落ちエラは意識を手放した。
レオナルドは自らの手刀に気絶するエラの様子を感情無く見つめた。
「…エ、ラ…っ」
絶え絶えにかすれたグランの声がレオナルドの耳に届き忌々しげに舌打ちした。
そしてレオナルドは控えている愛馬の背にエラを抱えて乗ると直ぐさま城へ引き返すべく馬の尻を蹴ったのだった。。