混乱の舞踏会 09
兄王子クリストファーは先日の脱走で城に連れ戻された後、もう脱走しないよう厳重な監視の下に置かれ、舞踏会の時間まで軽く軟禁されていた。
ここまですると言うことは王やトルトンもそれだけ必死だと言うことだ。
しかし王子も諦めたわけでも舞踏会の開催を納得したわけでもなかった。
──クリストファーは、森で見た少女が忘れられなかった。
そう思うと、舞踏会は面倒なものでしか無く興味もない女の相手をするのははっきり言って苦痛だった。
…こんな無駄な時間を過ごすのなら、もう一度あの森の井戸へ行きたい…。
本当に父上達も面倒な事をしてくれたものだ。
そして、王子は案の定。
舞踏会当日。
会場で見張りの目が離れた一瞬の隙に、会場からソッと逃げ出したのだ。
──きっと今頃は、俺が居ないことに気がついて慌てて居るかもしれない。
主役が居なくなるなど、余程焦ることだろう。
心の中で小さく皆に謝るとクリストファーは直ぐさま、次はどう城を抜け出すかに思考を向けた。
取りあえず王子は裏門へと向かっていた。
正面の城門は人通りが多く見つかりやすいが、裏門は途中に庭園を通るため、花に紛れて移動することが出来るのだ。
こちらの方が確実にリスクが低い。
──誰にも、遭遇しないことを祈るしかないな。
そう思った、直後だった。
「そこにいるのは誰だっ!!?」
庭園の中央に差し掛かったとき、中央の噴水のそばに見えた人影。それはただぼんやりと風景を眺めているようで、見回りや城の使用人では無いようだった。
クリストファーが声を発した途端、その人物は肩を揺らしパッと、こちらへと振り返った。
──黒く艶やかな髪が舞う。
噴水のぼんやりとした光に照らされた、驚きに染まるその顔は──…あの時の、女の者だった。
「…え?」
戸惑ったような声が聞こえハッとしたクリストファーはベンチに腰掛ける明日香に視線を向けた。
「舞踏会に、来たんじゃ無いのか? こんな所に居て楽しめているのか」
クリストファーの問いかけに、明日香は一瞬目を細め、疑うよに見極めるような視線を向けたが次の瞬間には、フッと顔をゆるめた。
「あなたお城の人? 会場に行く途中にここが目にとまってね。
花とか、好きだからつい見入っちゃって。驚かせたみたいで、ごめんなさい」
明日香のその言葉に自分が王子だと気がつかれて居ないことに気がついた。
──誰も、舞踏会の主役がこんな所に居るとは思わない、か…。
「嫌、俺も急に怒鳴ってしまってすまない。驚いただろう」
「私が悪いの。気にしないくていいよ」
明日香は作ったように、笑うとそっと視線を目の前の噴水に移した。
そのことがなんだか切なくて、クリストファーはこの胸の疼きが何か分からず首を傾げた。
先日、彼女を見つけたときから度々起こるこの疼きにクリストファーは何とも言えない甘さと痛みを感じ、考えるように眉を寄せた。
明日香はそんなクリストファーの様子に気がついて心配そうに顔をのぞき込んだ。
「大丈夫?具合悪い?」
それが嬉しくもあり、だが明らかに年下の少女に心配をされてクリストファーは苦笑いした。
「大丈夫だ。気にするな」
明日香はその反応に、ふーんと返すとクリストファーの目をジッと見た。
ここまで王子に素っ気なく反応する人物は中々居ない。
もちろん、こんなに堂々と顔を凝視する人物も。
クリストファーは、見つめてくる大きな吸い込まれそうなほどの闇色の瞳にぼんやりと見入った。
彼女の耳元から漆黒の髪がこぼれ落ちる。その黒の中で青い髪飾りが静かに揺れた。
それを見てクリストファーの瞳に映り胸が小さく鳴るのを感じる。
ふわっとした草の爽やかなにおいがクリストファーの鼻をくすぐる。
明日香の唇が、クリストファーの瞳を捕らえたまま小さく動いた。
「あなたの目、緑をしてる。自然の暖かい色で綺麗」
クリストファーはその言葉に驚く。
この色がそんな風に言われたことはない。
冷たい、なら言われるが。
「…ありがとう」
少し視線をずらしてそう言う。
明日香はそんなクリストファーを見つめパッと良いことを思いついたと言わんばかりに顔を輝かせた。
「今暇なら聞きたいことがあるんだけど、聞いても良い?」
「?…俺に答えられることなら」
明日香の様子にクリストファーは首を傾げ次に明日香の口から飛び出した言葉に眉を寄せた。
彼女が聞きたいことは単純に王子についてだったのだ。つまりは自分のことだ。
一瞬、彼女も他の女と同様に王子という身分や見た目だけに興味のある類の女だったのかと思ったが、その思考は切り捨てた。
彼女の顔は好奇心と期待でいっぱいで、その類の女が見せる妖しい雰囲気は一切持って居らず、至って健全な様子だった。
ただ純粋に、俺という人を知りたいのだ。彼女は。
明日香は戸惑うことなく質問を止めどなくぶつけてくる。
王子達の外見から始まって、
周りからの信頼、評価、生活態度、王位への執着、頭の良さ、国や民に対しての思いに女性歴までも質問された。
正直自分の事を話したり自分の評価を話したりと、今更王子本人だと言うわけにもいかず、つっかえながらもどぎまぎ答えた。
しかし明日香の口から出た質問に思わず閉口した。
「じゃぁ、弟王子と兄王子の関係は?」
真剣に聞いてくる明日香にクリストファーは、ジッとその顔を見つめた。
──どうして、こんな事を聞いて来るのか。
レオナルドと、俺の関係は俺自身、よく分からない。
表では好意的だし、実際お互いに笑みを見せることもある。だけどそれは何処か不自然で、自然的ではない。
時折、レオナルドの目が鋭く俺を睨み付けているのにも気がついている。
──しかし、それはこの子に言うべきことではないだろう。
クリストファーは、平静を装い、少しの間の後口を開けた。
「何も変わったところのない、普通の兄弟だろう?」
そう答えを聞くと、彼女は静かに目を伏せ黙り込んだ。
その様子に胸が騒ぐ。
耳元からこぼれ落ちる髪の毛が風に揺れて、彼女の表情を隠す。
こちらを見て欲しくて、顔が見たくて。その、柔らかそうな髪の毛に触れたい、と思った。
しかし、彼女は突然顔を上げたかと思うとスッと立ち上がった。
クリストファーもどうしたのかと慌てて立ち上がり、彼女を見ると彼女は寂しそうに笑って別れの言葉を口にした。
「もう帰らなくちゃいけないの。お話、ありがとう! 中々面白かったよ」
そう言うなり、背を向けて歩き出す彼女に思わず手を伸ばし、掴みかけたところでハッとしてクリストファーはその動きを止めた。
口からは「……あ」と情けない声が漏れる。
もう小さくなった彼女の背を見つめ、その後自分の伸ばした手に視線を落としクリストファーは目を伏せた。
──抱きしめてしまうところだった。…行くな、と叫んでしまう所だった。
視線を落とすと、そこに光る物を見つけてクリストファーはそれを拾い上げた。
これは…
それは彼女の髪に付けていた蝶の青い髪飾りだった。
ギュッと、それを手で握り、を額に当てた。
胸の甘い痛みが、初めて見たときよりも、ここに訪れたときよりも大きくなっているのが分かった。
「俺は……」
彼女の瞳が、声が、子供の様な表情が、媚びを知らないような純粋さが、頭から離れない。
胸に秘めた疼きの正体に、クリストファーは切なげに声を漏らした。
気持ちに気がついても、俺は彼女の名前さえ知らない。
───その様子を、少し離れた場所の木の陰からレオナルドが見ていたことにクリストファーが気がつく事は出来なかった。
レオナルドの瞳には暗い光が宿っていた。
明日香はクリストファーと分かれて城門までたどり着くと、唖然と立ちつくした。
─…そこには、そうまるで絵本からそのまま抜き出てきたようなカボチャの馬車≠轤オき物が止まっていたのだ。
真っ白でメルヘンチックな馬車を引いているのは真っ白な白馬。
お供の人らしき紳士は明日香に向かって深くお辞儀をし、明日香の手を引いて馬車の中に導いた。
ちょっとして馬車はゆっくりと動き出す。
多分あの魔法使いが帰りのために一緒に寄越していたのだろう。
残念なことに乗り心地はとても良かった。
程よく、ガタガタと振動の伝わってくる中、明日香は窓から小さくなっていく城を見つめる。
舞踏会(城の庭園)での収穫は結構あった様に思う。
まず、兄のクリストファーは金髪緑眼。弟のレオナルドは金髪碧眼。顔は兄弟だけど似ていないらしい。
信用は両方とも持っていて、兄は政治を民や国のためを思い進めて居る真面目な青年だが、無愛想。
弟は明るく、良く意見も言うしっかり者で周りに好かれている。
王位への執着は、兄王子はあまり強くなく弟は不明。だがこのまま行けば兄王子が王になるだろう。
女性歴は、不明。只今回の舞踏会は兄王子の決行が決まらず、しかも兄王子の方が結婚、と言うか女性に全く興味が無く今回のことが決まったらしい。
弟王子は巻き込まれただけとのこと。
兄弟仲は、……言ってはいなかったがあの様子から、本当かどうかは怪しい。
……あぁ、そう言えばあの時話してくれた人も金髪緑眼だったな…。
怒鳴られたけど結果、ちゃんと謝ってくれたし仕事中だっただろうに話までしてくれた。
表情はあまりなかったけど、見る限りあれは元々の性格からだろう。
最後、笑ったりしてくれたし、私もいつの間にか素で笑ってた。
あの後引き留めたせいで、怒られたりしなかっただろうか…。
ぼんやりとした思考の中で、もう一度会いたい、と明日香は思った。