一方的な出会い 07


明日香は、その晩戻ってきたエラに現状報告を聞いた。
どうやら、家を出ることに思い切りが付けないらしい。何処か躊躇してしまう、と。
そう言うエラに、明日香は焦った。舞踏会はもう二日後に迫っている。
しかもエラはその話は知っているようで遠い目をしながら「舞踏会なんて、きっと素敵なんでしょうね…」と呟き始める始末である。
やっぱりそこは女の子、憧れや興味があるのだろう。
明日香はエラに説明する必要があることを感じた。考え込むように目をつぶって黙り込む。
その様子にエラは不思議そうに明日香を見つめる。明日香はその気配を感じて静かに言葉を落とした。
「明日…そうね、六時位に森の中の井戸に来て。
 …エラに、大事な話があるの」
明日香の真剣な様子に、何かを感じ取ったのかエラも真面目な顔でコクンと頷いた。
──この判断を、後々明日香は後悔することになる。



「全く、あいつらは何を考えているんだ…」
街の外れを歩いている、その男は黒のローブを目深に被り舌打ちとともにそう呟いた。
その男は、不機嫌そうな表情でスタスタと歩んで居たと思ったら、急に路地裏へと入って行き、壁背を預けると息を潜めた。
その、通路の前を人々が足早にキョロキョロと周りを確認しながら通り過ぎていく。
その人たちは口々に「王子は」「クリストファー王子は何処だ」「目撃情報が」「この辺りだ」と話しているのを聞き取り男は─…クリストファーは苦々しげに舌打ちすると、路地の奥へと歩みを進め始めた。
その先には森が広がっている。
──森に入れば木が少しは遮ってくれるだろう。
そう思い、クリストファーはもう少しで赤く染まり始めそうな空の下、躊躇無く森の中へと踏み入って言った。
街ではクールだと言われる兄王子クリストファーは、今臣下から街の中を逃げ回っていた。まさに、周りを巻き込んだ鬼ごっこ状態だ。
この王子は酷く生真面目で毎日のように王と同等ほどの執務をこなしている。
が、ふと前触れもなく行方をくらます脱走癖も同時に持っていた。
しかし、今回は気まぐれなどではなくそれに理由があるのも確かだった。
クリストファーは森に入ったことで被っていたフードを脱ぎ、苛ついたようにスタスタと歩いていた。
「…人の了承も待たずに、結婚相手探しの舞踏会を計画し、しかも本人への報告は招待状を配り終わった後だっ!!
 馬鹿にしているにもほどがある」
クリストファーは、吐き捨てるようにそう呟いて眉を寄せた。
──俺にも婚約の話は、他国の姫君からいくつも来ている。
全て破談に終わる原因は、俺だと皆言うがそんなものしょうがないだろうがっ!!

クリストファーは長年の付き合いでありそして兄のような存在の臣下、トルトンの言葉を思い出して眉間の皺を深くした。
王子は無愛想過ぎます!! もう少し愛想笑いぐらいなさってください!
クリストファーはくだらない、と首を振ってその言葉を否定するとため息をはき出した。
「…結婚など、どうでも良い」
政治や王としての執務に、その存在は邪魔だと思うのだ。
愚王と呼ばれた王の当時の王政には必ず女の陰がちらついているという。
女に溺れた王はそれに左右され、愚王としてその名を刻まれる。
女には溺れず賢王であれと言うのなら、最初から女など作らなければ良いのだ。
そう言うと今度はトルトンや父上にまで、お前、大丈夫か? 少し執務を控えたらどうだ? などと心配し始める始末だ。もちろん断った。
そして今日、急に舞踏会の話を聞かされ、頭に来たクリストファーは執務を放り出し城を抜け出して来たのだ。
しかしコレは誰だって怒るものだろう。嫌、レオナルドはそうでもなかったが。
弟王子であるレオナルドの反応はなんともあっさりしたものだった。
弟に関しては特に急ぐ年でもなく、ついでとばかりに巻き込まれていたのだがあいつはあっさりと「面白そうだね」なんて言ったのだ。
あまりの反応に思わず弟を凝視してしまったものだ。

ぶつぶつと文句を呟きながら歩いていたクリストファーは突然その足を止め木の陰に隠れて息を潜めた。
そっと、そこから前方の様子を覗う。
──そこには粗末な接ぎ当てだらけの服を着た胸したほどまでの黒い髪の女が井戸に腰掛けて夕日を見つめていた。
クリストファーは思わず息を止めて、その姿に見入った。
女は夕日の赤い日を真っ直ぐ見つめ、微動だにしない。
肌も髪も服も日に照らされ、赤く染まっておりその姿は何処か神秘的だった。
ふと、少女は考え思い悩むように儚げに目を伏せた。
その表情は泣きそうにも見えて、クリストファーは言葉を失った。
今まで感じたことのない、言いようのない感情が胸の奥から湧き上がってきた。
そのことに戸惑い、クリストファーは狼狽えた。
──なんだ? コレは一体……。
「どうしたの? エラについて行ったんじゃなかったの、お前」
その声にクリストファーは、直ぐ意識を女に戻した。
女の指には小さな小鳥が止まっており、女はその小鳥に困ったように笑うと、静かに言葉をこぼした。
「大丈夫、大丈夫だよ…」
とても静かで、澄んだ綺麗な声だった。
その言葉は自分に言い聞かせているようにも聞こえ、その声を聞いたクリストファーは少女がその場を去った後もそこから動くことが出来なかった。
放心したようにそこから動けず、そこを城の兵に見つかりクリストファーはそのまま城へと連れ戻されていった。



「エラッ!! ごめん、待ってた?」
明日香は息を切らせながら井戸に腰掛けたエラに走り寄ると、途端開口一番にそう言った。
エラは、ちょっと困ったように笑うと「大丈夫です」と答えた。
その微妙な言葉に明日香待たせていたことを悟って、申し訳なさそうに眉を下げた。
エラの肩にはいつもの小鳥がちょこんと止まって居る。
明日香は手短に話を終わらせるために早速本題に入って言った。
信じてくれなくとも、伝えておきたかった事だ。
「エラ、聞いて。舞踏会には行っちゃ駄目」
「…アスカ?」
戸惑ったように名前を呼ぶエラにかまわずアスカは話を続けた。
「舞踏会に…──王子に関わっちゃ駄目なの」
あまりの鬼気迫ったような表情にエラは思わず身を引き、戸惑いの目で明日香を見つめた。
「え、でも私行けないですよ…?」
「取りあえず聞いてっ!! 舞踏会と、王子と関わったらきっとエラはグランと居られなくなるっ!」
その言葉に、エラは「え…?」と混乱したように声を漏らすが明日香は捲し立てるように続けた。
「私ね、エラを助けるためにここに居ると思うの。だからお願い、私はエラを助けたいの。
 本当は舞踏会の前にエラにグランさんとくっついて安全な場所に行って欲しかったんだけど、もう招待状が来ちゃったし。
 こうなったら、無理に行動するより大人しくしていた方が良いと思うのよ」
「あ、アスカ!! 聞きますからゆっくり! 分かるように言ってください!」
次々と捲し立てる様に言う明日香に、エラはあまり理解できなかったのだろう。
エラの言葉に明日香ははっとした様に、口を閉じて一度目を閉じるとゆっくりとエラの目を見つめて言った。
「…舞踏会をやってる間、家からでないで。
 出来れば夜もずっとグランさんと一緒にいて。何が起こるか分からないの。」
「………分かりました。グランと一緒に居れば良いんですね」
少しの間の後、何も聞かずあっさりとそう答えたエラに明日香はびっくりしたように目を丸くした。
明日香の様子にエラは照れたように笑って恥ずかしそうに口を開いた。
「アスカは冗談でそんな事言う人じゃないでしょう? …それに、その…大事なと、お友達ですもの…っ!」
恥ずかしそうにそう言う、エラに明日香は不覚にも泣きそうになりながら抱きついた。
しかし、一つ言い忘れたことに気がつきハッと顔を上げた。
──シンデレラは魔法使いの魔法でお姫様になって舞踏会へ行く。
ならもし、魔法使いがグランの家のエラの所に行ったら?
「エラ、もしエラの所に魔法使いが現れても、絶対舞踏会には、お城には来ちゃ駄目だからね」
「ま、魔法使いィっ!!?」
真剣に言うとエラは声を裏返して繰り返した。
その顔は困惑が浮き出ていて、明日香は苦笑いした。
戸惑いながらも真剣な顔で、私の言うことを聞いてくれたエラは小鳥を肩に乗せたままグランの待つ家へ帰っていった。
その背中を見送る明日香は、彼女がどうか絶望を味わうことがありませんように、と切実に願ったのだった。

エラの座っていた所に腰掛け、彼女の迷いのない足取りにもう、エラにとっての家族はグランの家の人たちになっちゃたのかもしれないな、と少し思った。
家族、で明日香は死んだ両親のことを思い出した。
ここに来てから私はどれだけ両親の事を思い出して居ただろう?
いや、実際意識してなかっただけでいつも思っていた。
でも泣きそうになることは何度かあっても、泣いたことはない。
本当は泣きたいのかもしれないけど。
泣き叫んで、戻って来てって誰かに縋りたいのかもしれない。
もっと少し、強くなりたい。
でも、私は笑えてるから。
きっと、あのまま親戚達に囲まれて過ごすことになってたら私はきっと笑えない。
作り笑いじゃなくて、本当に笑えているから。
でもきっと、それもエラのおかげだろうと思って小さく笑った。
彼女は、居ない長さは違うけど私と同じで両親は居ないのにあの環境で頑張ってたんだ。
よっぽど私の方が楽。
彼女は悲しむ間さえなくこき使われてどんな気持ちだったのだろう。
ただ、私が彼女に癒されたのは確かだ。断言できる。
彼女はまるで長い間一緒に居た親友のように時々思うのだ。
一緒に居た時間を数えれば二十四時間にも満たないのに。

朱く染まった空と夕日をジッと見上げた。
大丈夫。コレで彼女は大丈夫なはず。
彼女は幸せになれる。
ちゃんと言ったし、彼女が王子に会うことも認識されることも無いはず。
あの映像の舞踏会でエラと踊ったのもグランを切り捨てたのも同じ声の男、王子だった。
顔は見えなくて分からなかったけど。
あの王子はもう片方の王子をきっとライバル視してる。
舞踏会でもう一人の王子がエラを気にして視線を送っていたから、あの王子はエラに目を付けた。
だから、エラがもう一人の王子に認識さえされないで居れば、あの王子に狙われる事もない。
外に出ない用にとまで言ったんだから、大丈夫。大丈夫よ…。
明日香はソッと目を伏せた。
──なのに、こんなに胸が騒ぐのは何故……?



ふと、羽の羽ばたく音が聞こえて明日香は顔を上げた。
──あ。
「どうしたの? エラについて行ったんじゃなかったの、お前」
そこには、エラの肩に止まっていたはずの小鳥がいて、指を伸ばすと静かにそこに止まった。
つぶらな可愛い瞳は真っ直ぐにジッとこちらを見つめていて、なんだか心配されているような錯覚に陥った。
明日香はその小鳥に困ったように笑うと、静かに言葉をこぼした。
「大丈夫、大丈夫だよ…」
──きっと、大丈夫だから。みんな、うまくいく。
自分の声は音のしない静かな森に響いた後、ゆっくりと朱い空に溶けて消えた。



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