物語の世界 04
ヒンヤリとした温度を頬に朧気に感じる。
その冷たさがなんだか心地良い。
目蓋が落ちた暗い視界にカタッと音が響いた。同時に人が息を飲むのを気配で感じた。
誰だろう、気になるけど目開けたくない……。
妙に痛む頭に、そっと眉を寄せる。
そして先ほどの夢を思い出すと、不快感に顔を顰めた。
目に焼き付いた妙にリアルな…─真っ赤な血とそれに染まる人の身体。
それを思い出すと同時に両親の事も思い出す。
何でこう何度も人の死を目の当たりにしなくちゃいけないんだろう。
それが大事な人だったならそのショックは尋常じゃないほどのものだ。
─…自分とそっくりのあのエラ≠ニ呼ばれた少女を思い出す。
自分と瓜二つと言っていいほどそっくりな少女。
訳の分からない途切れ途切れな夢の中の彼女は目の前で恋人を刺し殺されたのだ。
その衝撃は想像出来ないほど大きな物だったに違いない。
…─なんて、夢だし考えても無駄、か。
薄暗い閉じられた視界に明かりを求めて、うっすらと目を開ける。
最初に映ったのは床だ。冷たいと思ったらどうやら床に私は寝ころんでいたようだ。
古めかしい木で出来ているそれは、随分と手触りが悪くしかもギシギシと軋んで音を立てている。
─…ん?
なんだか、おかしいことを考えた気がして首を傾げながらゆっくりと身体を起き上がらせる。
私の家って、フローリングだったよね?
眉をギュッと寄せながら視線を部屋の中に巡らせようとして─……固まった。
「え…」
思わず小さく声を漏らす。
驚いているのは向こうも同じらしく、二人して見つめ合ったまま身体を固まらせた。
目の前の少女≠ヘ言葉を失ったように口元に手を当てて目を見開いてそこに立ちすくんでいた。
私自身も、彼女のその容姿に限界まで目を見開たまま思考が停止した。
「シンデレラ!! 何処に居るんだいシンデレラッ」
突然聞こえたその怒鳴るような声にハッと意識が覚醒し、辺りを見回す。
そこは質素で物がほとんど無い部屋で屋根裏の様だった。
唯一付いている窓からは外の明るい日の光が差し込まれていた。
怒鳴り声はなおも続き、その声はこの部屋の外から響いているようだった。
その声に素早く反応したのは入り口で固まっていた少女≠セった。
「はいっ! お義母様ここにおります、今参りますわ!」
「居るんだったらさっさとお言い!! 直ぐにいらっしゃい」
声に覚醒したのは、私だけでは無かったようでおそらく目の前のシンデレラ≠ニ声に呼ばれた少女は、直ぐさま声を張り上げて踵を返す。
私は彼女に声を掛けようか迷った。
私はいったいどうすればいいのだ。
しかし出る直前、彼女はこちらを振り返り戸惑いの表情を浮かべながらも私に告げた。
「お義母様達はここには来ませんから、静かにここに居てください。
ここに居る理由は後ほど覗いますから」
彼女はどうやら匿ってくれるらしい。
それだけ言い残し困惑した様子のままそそくさと部屋を出て行った。
彼女の部屋らしい見慣れないここでどう見ても不審者な私を直ぐに警察に届けたりしないのはきっとお互いの容姿がそっくり≠セったことが大きい気がする。
急に一人になった私は、キュッと眉を寄せてぼんやりと木の天井を見つめた。
─…そっくりだったのだ。私と彼女は。
さっきの夢といい、この状況といい。それとも私はまだ眠っていて夢を見続けているのか。
しかし、それにしては感覚が妙にリアルだ。
今現在私は部屋の中にあった粗末な藁布団のベッドに腰掛けているが、その硬さがお尻から伝わってくる。
――彼女はこの布団で寝て居るんだろうか。体が痛くなりそうだ。
そんな事を思ってさっきの少女≠思い出して、私は眉を寄せた。
彼女の顔や着ていた服はまさにさっきの夢のエラ≠ニ同じ物だった。
事切れた両親を見ただけで私は絶望し、どうしようもない悲しみと喪失感が溢れ出して何も考えられなくなっていった。
なら彼女は夢のように恋人のグラン≠目の前で失った事になる。
あのどうしようもない、感情に彼女は囚われているのだろうか。
その思考に横に頭を振る。
私はいつからこんなに想像力豊かになったんだろう…。
それとも両親が死んだ、ショックで頭がおかしくなったんだろうか。
もう一つ、おかしな事がある。
夢の中のエラ≠ヘシンデレラ≠ニ最初に呼ばれていた。
そして今ここを出ていった少女もまたシンデレラ≠ニ呼ばれた。
そしてそう呼んだのはお義母様≠ニお義姉様≠セ。
夢に出てきた王子に広く豪華に彩られた空間で演奏に合わせて踊る人々。
これは、まるで──…。
シンデレラ≠セ。
シンデレラと言えば有名な童話。
あまりのショックに現実逃避してこんな夢を見てるのかもしれない。
…──夢、と言えば一体私はいつ寝たっけ。
荷物詰めてて、見つけたアルバムを……
思い当たった記憶に怪訝そうに私は顔を顰めた。
「シンデレラって書いてあった、あの本…光った?」
ちょっと待てよ、あり得ないよね。
本が光るとか。あれも夢?
ならどこからどこまでが現実で、どこから私は夢を見てるんだろう。
─…どうせなら、母さん達が死んだのも夢だったらいいのに。
その考えに、頭を振る。
違う、それは紛れもない現実。目をそらしちゃダメだ。
ギュッと唇を噛み締めて、泣きそうになる目を強くつぶった。
気持ちが悪い。ほんとにこの状況は一体何なんだ。
只の夢? 本当に? 現実逃避にしてはやり過ぎな気がする。と言うより、こっちのあの映像も十分現実逃避したくなる感じだ。
さっきの夢の最後なんか、泣け叫びながら段々血まみれになっていくのが自分と同じ顔の少女なのだからなおさら冗談じゃない。
妙に凝った設定とか、感覚のリアルさとか。この調子だと夢か確かめようとして頬を抓ってみても痛みを感じそうだ。
「…の、あのっ!!」
「ぎゃっ!!?」
どうやら考え込んで自分の世界に入っていたらしい。
急に耳元で声が聞こえ、乙女らしからぬ声を上げてしまった。
──び、びっくりしたぁ…。いつ戻ってきたんだろ。それだけ意識ぶっ飛んでたってこと?
目の前に居る少女を見ながら、少し苦笑いを漏らした。
少女は相変わらず戸惑った様などうしたら良いか分からないと言う顔をしている。
まぁ、いきなり自分そっくりの顔の人が現れたら誰だって驚くだろうけど。
私自身、そうだから。
それに私は──、多分これは夢じゃなくて現実だと思う。
この状況から目を反らして逃げるのは止めた。
私にこんな想像力は無い。
第一こんなリアルな夢あるわけない。寝た覚えもないし。
人が死ぬところなんて直接見たこともないのに、あんなに気持ちが悪くなるような映像が思い浮かぶわけ無いじゃない。
あと少し考えて分かったのは、多分ここは日本じゃない。
覚えてるのは、本から溢れ出した光。
中途半端な白紙のシンデレラ。
現実から目を反らして考え続けて立ち止まるより、前に進む方がいい。
─…どんなことでも。
私にとっての今の現実は、この“非現実な世界”何のだ。
両親が死んだ。
それも現実だし、今現在のこのおかしな現状でさえ私にとっては現実。
今考えなくちゃいけないのは現実逃避とか、無理矢理どうにか夢だと思いこもうとする事じゃなくて、どうやってここで乗り切っていくか、だ。
「よしっ!」
「っ!」
少女はいきなり上がった声に、ビクッと肩を揺らし半歩後ろに後ずさった。
しかしそんな少女にお構いなしに、勢いよく切り出した。
「自己紹介しよっ! まずお互いのことから知らなくちゃね」
「はぁ」
気が抜けたように返事をする少女に、満足げな笑みを向けて「あなたからどうぞ」と明るく声を掛けた。
少女は、少々怯えた表情で恐る恐ると言ったように口を開く。
「あ、…えっとエラ…です。ぁっでもみんなシンデレラと呼ぶので…」
「じゃエラ? 何でシンデレラなの?」
やっぽりこの少女はエラだった。シンデレラって本名じゃないんだぁ…。
直ぐさまそう問い返せばオロオロと困ったように戸惑いながら口を開いた。
「わ、私いつもお掃除とかで灰が付いていたりするので…お義母様達が、灰被りと言う意味で…そう呼んでいて…」
灰被り…そんな意味が…。
それは本名なわけないか。
しかし、義母達には良心が無いんじゃないだろうか?
黙り込んでいると、エラは控えめに「あの、あなたは?」と言った。
そうりゃ、身元不明な不審者だもんな、私。
「私は、鈴村明日香ってあー…、明日香、アスカうん。私はアスカって言うの」
そう言って笑いながら「気軽にアスカって呼んでね」と言うと、つられたのか笑い返してくれた。
同じ顔に笑い返されるって変な気分だ。
性格は違うようだけど。
笑うって言ったってエラのは微笑みだ。きっと穏やかな性格なんだろう。
私は、ショック受けて大人しかっただけで普段は活発だし。
顔は同じだけど、やっぱり中身は違う。
あ、後声も違うな。エラの方が声がちょっと高い。私も高い方だけど。エラの方が可愛い声をしてる。
うん。優しそうな女の子だ。困った人を放っておけないタイプだ。
「ものは相談何だけど、私をここに泊まらせて? 行く当てが無いの。良いかな?」
可愛く首を傾げてみた。
エラは突然の事で固まってる。
嘘は言ってない。行く当てが無いどころか、何処かもよく分からない。や、シンデレラの世界なんだろうけど。
「お願いっ! どうすれば良いか分からないの」
「っ!!こ、こんなところでよろしければ…」
エラはやっぱり折れてくれた。
なんてお人好しなんだ。初対面の人間に寝床を貸すなんて。感動で涙が出そうだ。