飛べない花 07


身体が痛い。
身体を動かす度に鈍い痛みがズキズキと痛む。
漏れたと思った呻きは細い鳴き声へと変わり。
動かした手からは羽の擦れる音が響いた。
メイディアはそれに自分の身体の状態を思い出し、苦い思いに目を閉じた。



パタンと、閉じられたドアを無表情に見つめる。
先ほどまで自らの正面に座り話をしていた己の娘の姿は、もうそこにはない。
その長い髪を揺らし静かに退室した娘の後ろ姿を思い出す。
男は、ギリッと歯を噛み締め苦々しくそのドアを睨み付けた。
「生意気な小僧が…っ」
まだ若き、東の街の領主を思い出す。
飄々とした顔を思い出す度に怒りが沸いた。
この国は東西南北、そして中央の王都の五つの街で構成されている。
そのうちの東の領主に23歳と言う異例の若さで就任したあの男。
何故、あのような男にこの私が従わなければならない。
元々この地は我等が一族の物だったというのに。
今より四代前、あ奴らが突然と王都より東の領主となるよう王から命を受け取り、この地にのさばり始めた。
それまで我が一族の物だったこの地はあ奴らの手に渡った。
四代前の一族の領主だった男はあ奴らの手によって投獄され、我等は地位を落とされた。
全てはあ奴らの成したこと。
なぜ、何故正しきこの地の領主の一族である我等が貶められなければならない。
真にこの地を治めるべきは我等の筈。
男は口から重たく息を吐き出した。



するりと、頭を撫でていた指が離れる。
触れていた優しい温度は、残ることなく直ぐに消えた。
ゆっくりと指を追う様にその指の持ち主の顔を見上げる。
アレクサードは、籠の中に座るメイディアを優しく見下ろした後、小さく苦笑いを漏らした。
「…なにやらすっかり入れ込んでしまったな」
小さく自嘲するように漏らされた声は小さすぎてメイディアの耳には届かず。
メイディアは何かと小さく首を傾げた。
その時、メイディアは一瞬首筋に走った痛みに動きを凍らせる。
しかし気付かなかったように、ゆっくりとまた元に戻した。
「大人しくしてるんだぞ?」
「ピィ」
メイディアの返事が帰ってきた事に満足したのかアレクサードは小さく頷いてからメイディアに背を向けた。
そしてそのまま部屋を出、室内にはパタンとドアの乾いた音が響いた。
小さく息を吐き出す。
“あの時”以来、領主様は私を執務室には連れて行こうとしない。
それはきっと優しさ。
私に怪我が無いようにとの、配慮。
それが分かるからこそ、私はどうしようも無い心地になった。
心配を、掛けている。
何度も感じてきた、時が経てば経つほど強くなる無力感。
メイディアは痛む身体に気がつかない振りをして、ゆっくりと立ち上がった。
行動が出来る時間はアレクサードが昼にここに来るまでの時間しか、メイディアは持っていなかった。

最初はまず、窓辺で鳥の観察から始めた。
どう羽を動かしているのか。
どうやって高さを上げるのか。
どうやって着地するのか。
観察するべき事はたくさんあった。
最初の二、三日はこれに費やした。頭で繰り返してその動きを覚える。
そうしたらまず、その場で浮くことが出来るように練習をした。
次はテーブルから籠へよじ登ったりジャンプするのではなく、飛んで登れる様にした。
なれない動きに中々上手くはいかなかった。
でも繰り返す内に段々と少しずつその動きになれてきて出来るようになってきた。
次は、直ぐ横のアレクサードの寝台に飛び降りて練習をした。
寝台は柔らかく着地に失敗しても身体を傷つけない事が分かっていたから。
飛び降りて、羽を動かして少しでも長く空中に止まっていられるようにする。
頭で分かっていても、咄嗟に身体を動かすことが出来ずに何度も落ちた。
また寝台からまた花籠のある棚の上へ戻らなければいけなかった。
これは高さが高すぎて戻ることが最初に出来なく、部屋に戻ってきたアレクサードに発見されて元の位置にメイディアは戻された。
時には掃除に来た使用人の人や、花を生けに来たベートに見つかって戻されることもあった。
羽が落ちて、嫌な顔をされることもあった。
でもそれを何度も繰り返す。
何度も見つかる内に、ベートはメイディアが何をしようとしているのか気付いたらしかった。
一日に部屋に来る回数も少し増え、籠の所に戻れていないようならそのたびに戻してくれる。
そのうちに空中に止まる時間も、戻るときに上がる高さも段々と上がってきた。
そして、もう寝台から降りるのも棚へ戻るのもしっかりと出来るようになった。
次は、棚の上から床へ飛んだ。
高さは棚の上から寝台へ降りたときのおよそ二倍。
ここで、一番の障害になったのは他でもない、恐怖心だった。
高さに目がくらむ。
身体にかかる風が違う。
足が震えた。
寝台に降りる時と同じようにやれば出来る筈だ。
そう自分に言い聞かせた。
そして、自らの身体を投げ出したとき、迫る床に身体が凍った。
耳元で勢いよく風の流れる音がうるさいくらいに耳に付く。
襲ったのは鈍い痛み。
たたきつけられた身体に、思考が止まる。
メイディアは少しして、ゆっくりと身体を起こした。
諦めるわけには、いかなかった。
何よりも、これ以上迷惑を掛けないように。



「ピ────っ!」
またっ。
耳元を鋭く風の音が響く。
ただ、それが最初よりは段々と確実に緩やかになっていることにメイディアは気がついていた。
目の前に床が迫る。
ドンッと鈍い音を立てて、身体が地面に激突した。
内蔵が跳ねて、一瞬息が詰まる。
ケホッと吐いた息は、声にならず。
メイディアは息を整えようと、横たわったまま目を瞑ってゆっくりと大きく胸を上下に動かした。
しばらくそれを繰り返し、それからゆっくりと身体を起こす。
立ち上がったとき、鈍い痛みを感じたけれどあまり考えないようにする。
確実に、飛べるようになっている。
距離も、時間も、高さも。
保てるように、なってきている。
後もう少し、後もう少しなのに。
メイディアは悔しさと歯がゆい感情に口を噛み締めながら、真っ直ぐと窓の外へ視線を巡らせた。
窓の外は雲無く晴れ渡り、青い空が広がっている。
あの空を、飛ぶことは、どれだけ先になるのだろう。
私が、誰にも迷惑を掛けないようになれるのは、いつなのだろう。
メイディアは目線を窓から反らし、また己の寝床を見つめた。
上に上がろうと、羽を伸ばす。
その時だった。
いつの間にドアが開けられたのか。
そこに少し目を見開いてこちらを見ているアレクサードが視界に映り込んでいた。
メイディアは思わず羽を広げたままの体制でピシリと固まりアレクサードを凝視する。
……あぁ。
「…っィ」
見つかってしまった。
領主様の眉がよる。
そのまま戸を閉めると、カツカツと靴を鳴らせて領主様が近づいてくる。
いつの間にか、広げていた羽は、閉じられ、ただ領主様を見上げていた。
「…メイディアお前、落ちたのか?」
その声は、心配そうな、それでいて怒っているような声色だった。
「この前も、ベットの上に居たよな」
その表情に真っ直ぐに顔を見上げ居ることが出来ず、そろりと目を反らす。
どうしてこんな心地になるのか分からなかった。
後ろめたいことをしていたわけでもないのに。
むしろ、当然のような飛ぶ練習という、そんな事を。
なぜ、こんなにも見られたくなかったと感じるのか。
「…お前、飛ぼうとしてるのか」
「ッ」
どうして、知られたくなかったと、こんなに心が叫ぶのだろう。
知らない、分からない。
お願い、見ないで──…。

しばらくアレクサードは声を上げないメイディアを見つめていた。
しかし、何も反応を見せないメイディアを見てアレクサードは溜息を吐き出すとソッとメイディアにいつものように指をさしだす。
メイディアはその指とアレクサードの顔を交互に見比べ、少しの戸惑いの後にゆっくりとその指へ乗った。
そして何もなかったように指の高さは上がり、メイディアは自分の寝床に優しく下ろされた。
メイディアは戸惑いに瞳を揺らし、アレクサードを見上げたが、彼はメイディアを静かに一瞬見ただけで直ぐに背を向けて室内にあるイスへ腰掛けてしまった。
そしてそこにあった本に手を伸ばすと、彼はそれを開き、そこに視線を落とした。
どうしたら良いのかなど、分からない。
怒らせてしまったのかとも思うが、そう思ってもどうすることも出来なかった。
謝ろうにもメイディアは今、言葉を持っていなかった。
メイディアに向かない視線は、静かに本に向けられている。
見られたくないと、思ったのに、今はその視線が向かないことに淋しさを覚えた。
本当に、良く分からない。
一体、私はどうしたらいいのだろう。

その時間は、酷く長く感じられた。
でもきっと、そんなには長くなかったのだと思う。
不意に、ドアがノックされコンコンという高い音が室内に響いた。
本に落としていた顔をアレクサードは静かに上げる。
「入れ」
その低い声に、ドアが静かに開かれ人が中に足を踏み入れる。
その人はベートだった。
「失礼いたします」
パタンと、ドアの閉まる乾いた音が響いた。
腰を折って一礼したベートは静かに身体を上げると、イスに腰掛けるアレクサードの横までいくと、手に持っていたらしいその手紙を静かに手渡した。
「王都からでございます」
アレクサードは受け取ると手紙の裏を確認し、その封蝋に描かれた印を確認すると、静かにその蝋を剥がしその中身を取り出した。
カサカサと紙のこすれる音が響く。
アレクサードは手紙にサッと目を通すと、小さく眉を寄せた。
その後疲れたように息を吐き出し、手紙をたたんで封の中に戻すと机の上に置き、ベートに視線をやる。
「…王城へ行く。準備を頼む」
その内容に、メイディアは何があったのかと目を見開いた。
王都ましてや王城など、滅多に行く所ではない。
メイディアはもちろん、行ったことなど無かった。
「承知いたしました。
 クリストファー殿下からのようでしたが何かございましたか」
クリストファー殿下。
その名前はメイディアでも聞き覚えがあった。
その名は、この国の第一王子その人のものだった。
一瞬聞き間違えかとも思ったが、名前の後に続いた殿下という敬称が、それを確実にしていた。
「いや、クリスにはまだ小さい娘と息子が居ただろ?
 何故かあの二人に俺を紹介したいらしい」
「アンティーラ様とディレイト様ですか。
 旦那様がお会いになったのは、お二人がお生まれになった時でしたか」
「あぁ、そうだと思う。
 あいつも大分丸くなったもんだ」
アンティーラ様とディレイト様。
その名も聞き覚えがありすぎた。
確か二年前、第一王子の結婚とそう間を開けずにお子様がお出来になられたと国中が沸いていた。
その時に広まった第一王子の二人の子の名前がアンティーラ様とディレイト様だったはず。
しかもへたをしたら不敬罪になってしまいそうな発言。
ベートはそれを咎めることもなく、笑っている。
メイディアはさっきまでの感情を一気に忘れ、半ば唖然とする。
領主様は、一体本当に何者なんだろう…。



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