それは終わりと始まり 01


考えたことがある。
聞こえてくる怒鳴り声とガタガタと物が壊れる音が響く闇の中で。
ぼんやりと、ただ音が止むのを待つ中で。
私はいつも気を紛らわすように歌っていた。
歌だけが私の救いだったと言えるのかもしれない。
学校に行っても、歌った。
友達と、楽しみながら。
1人の時は、何かをはき出すように。
家では、音を閉ざすために。
いつも、歌いながら考えることがある。
──人間は死んだらどうなるのかと。
今、この私の意識は記憶はどうなるのかと、私≠ニ言う意識は身体を失ったら闇に掻き消えていくのだろうか。
それとも幽霊がもし存在するならこの世界の中で意識は存在し続けるのだろうか。
上手く言い表せないが、いつも考える度におかしな感覚に囚われる。
妙な不安が湧き上がってくる。
漫画や小説や物語の世界とは違う現実で。
身体を失った、人の記憶や意識は何処に行くのだろうかと繰り返し繰り返し考えた。
闇の中に掻き消えて私≠フ意識はそこで途切れこの闇の様に真っ暗に染まるのか。
もしかしたら天国があってそこに私≠フ意識が残るのか。
もし今の感覚がよく分からなくなって、いつか私≠フ意識が完全に無くなるのかと思うとゾッとする。
でも、それでも考えてしまうのは…──。

きっと、私がいつも恐怖しているせいかもしれない。
いつかの死を常に意識しているから。

そして今、私はその瞬間に居る。
私の心臓に向かって真っ直ぐに振り下ろされる鋭い光が見えた。
速い動きのはずなのに、それがえらくのんびりとした時間に感じた。
もしかしたら安堵しているのかもしれない。
やっと、この永い闇から解放される。
いつも考えていた答えが出ると。
でもやっぱり怖いのだ。
痛みが、苦痛が、今の私≠フ意識が無くなるのが。
そして何より。
──この人に殺されることが、怖いのだ。

「…─お、かぁさん」
その声はきっと、目の前のこの人に伝わることは無いと分かっていた。
この人は私を憎んで居るから。
だって、実際に今この人は心底私が憎いと、憎悪を隠しもせずに私を睨み付けて笑っているのだ。
やっと、私から離れられると。
鋭い光はついに私の身体にたどり着いて、焼けるような痛みを私に与える。
狂ったような笑い声が耳に届いた気がしたが、それを確認する前に

私≠フ意識は痛みと共に完全に途切れてしまった。



「…ど…この…」
「だ……いし…ま…」
遠くで、声がする。
誰の声だろう。
「…意識はおそらく近日中に戻るかと」
「まぁ、良かった」
「あぁ、庭に倒れているのを見つけたときは死んでいると思った」
少し、お年寄りの声だ。
知り合いに、そんな人は居ただろうか。
…ぁ、しり…あい?
まだ重い目蓋を違和感に気がついて無理矢理押し上げる。
それに気がついたのか、その部屋にいた女性が声を上げた。
「まぁ!気がついたのね」
「本当ですね。しばらくは安静を保っていればさほど支障は無いでしょう」
視界に移ったのは、心配そうな顔をした寄り添って立っている女性と男性。それと医者らしき男性。
そして広がる部屋の風景に感じる茫然とした違和感
何かが変だと感じるのに何が変だと思うのか分からない。
微動だにしない彼女に医者である男性は違和感を感じたのか、直ぐ横に近づいてきて目線を合わせた。
その目は何処かぼんやりとしていて焦点があっていない。
「…お嬢さん、あなたのお名前は何ですか?」
その問いをした途端、彼女の焦点は医者の目をしっかりと捉えた。
「…な、まえ?」
…私の、名前?
彼女の顔が困惑に染まる。
大きく目を見開いてその瞬間身体を強張らせた。
その反応に医師は眉を寄せる。
「あなたはどこから来て、どうしてここにいるのか覚えていますか?」
何処?…どうして、私は居るの、か?
その質問に、彼女は拒絶するように、怯えた表情で首を弱々しく振った。
「…わ、からない…っ。…私は、誰?」
その言葉に医師は確信したように目を伏せて、後ろで心配したような視線を少女に向ける老夫婦に振り向いてゆっくりと告げた。
──彼女は記憶を失っていた。



その老夫婦は、医師の話を聞いて身寄りのないその少女を養子として引き取ることに決めた。
老夫婦は高い貴族の地位を持っていた。
二人の子供は娘がいたが昔に事故で亡くなっていた。
丁度少女と同じぐらいの年の時に。
それもあり、老夫婦は彼女を迷わず引き取ると言った。
そして、彼女に名前を与えた。
少女の新しい名前はシンディ・イザヴィート。
…シンディ?私の、名前?
その何処かなじみのない響きの名に、黒髪と黒眼を持つ少女は大きな違和感を持った。
「シンディ」
未だ違和感を感じるその名前を自分の名前だと認識するのにしばらくの時間を要した。
少し遅れて反応する。
「…はい」
顔を上げて相手を真っ直ぐ見るとそこにいたのはイザヴィート婦人…─サンシャさん。
そしてやっぱりその少し後ろに寄り添うようにその夫であるケイドさんがいる。
「何か欲しい物はある?したいことでも良いのよ」
「遠慮しなくて良い」
優しげに笑みを浮かべながら二人は静かに言った。



私はあれから、初めて目が覚めたあの部屋に住んでいる。
あの夫婦が私の記憶を失った身柄を引き取ってくれることになった。
何も分からない私に、名前をくれた。
シンディ。それが私の名前。
初めて聞いたとき、上手く聞き取れなかった。ぼんやりと上手くつかめない違和感。
名前を呼ぶ度、呼ばれる度に感じる不可解な違和感。
それは部屋や着る服、食事全てに感じた物。
違う。違うと、身体が叫ぶ。
でも、外に出ればもっとそれは強くなるのかもしれない。
私は、ここに来てもう3ヶ月が経つ。
なのにまだ、この部屋から出たことがない。
サンシャさんとケイドさんは、この部屋に来るために私に望みを聞く。
そのことに、申し訳なさと訳の分からない感情に戸惑って毎回断りを入れた。
実の、ではなくても保護者、親という存在。
愛情を優しさを気遣いを心配を、それを感じる度にとてつもない幸福感と安心感に囚われる。
嬉しくてしょうがなくて、でも何処か物足りなさを感じる。
何かが、抜け落ちたように空っぽになってしまった様な喪失感。
いつも感じるの。
無い。無くしてしまった。
何かが、足りないの。
自分が自分じゃなくなったように、時折急に襲われる空虚な感覚。
拭いたかった、そのわけの分からない感覚を。
外を見たら、もしかしたら無くなるかもしれないと思った。
光を目一杯浴びて、のんびりと外で過ごして。
この物足りなさを埋められないかと思ったの。
「外が、外に出たいです」
私は3ヶ月経ってやっと、サンシャさんの言葉に自分の願いを告げた。



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