雨空のラプソディ
「…あー……」
帰りのHR。教室の窓側の一番後ろ。
ぼーっと担任の話を聞き流して窓の外に視線をやり、ぼんやりとつぶやきを一つ漏らした。
「雨、降ってる──…」
うつろな意識で視界に映った外の世界は、薄暗くザァザァと涙を流していた。
「…傘、あったけ……?」
ぼんやりと自分のロッカーや鞄の中を思い浮かべて必要になるだろうものを頭の中に描いた。
未だ降り続ける雨は止まることを知らないように勢いをましていく。
その様子を人が少なくなった教室でやっぱりぼんやり見てる私。
「……雨、やまない…」
置き傘は無かった。
この前に持って帰って使ってしまったような気がしないでもない。
今この激しい雨から身を守るものもなく、また雨が上がる気配もない。
傘も無く、降り止まぬ雨に半ばあきらめのため息を吐き出した。
コンビニでも買えるだろうがそこに行くのも濡れる。どうせ濡れるのなら買うのも嫌だった。
それに、どうせならびちゃびちゃに濡れてしまうのもいい気もした。
そう思い、カタッと静かにいすかた立つ。
ぼんやりとしながら教室を出た。
すっかり人気を失った校舎はシーンと静まりかえり激しい雨音だけがみ耳障りなほどに響く。
雨は、やまない。
「濡れるな――…」
そう小さくつぶやき、私は一歩、雨の中へと踏み込んだ。
激しく雨に無防備な体が打たれ、服や髪の毛が重みを増していく。
体に張り付いて、気持ちが悪い。
それでも雨に打たれるのは嫌いじゃない。
雨に頭が冷え、体温を失っていく。
何かを流していくように、すべてを忘れさせてくれるような気がした。
寂しさを紛らわせてくれるような気がした。
そして、それを見つけたのは近道に公園を横切った時だった。
「…おまえ、どうしたの?」
滑り台の下。視界に止まった黒。
――そこには濡れそぼった黒い猫が丸まって座っていた。
なんだか気になって、近づいていくと逃げる様子もなくこちらをジッとみたまま動かない。
おそるおそる、手を伸ばして触れるとしめった感覚。
「…っ」
随分雨に打たれたのか、その体は冷え切っていた。
私は黒い猫を胸に抱いて体温を分けるようにギュッと力を込める。
猫は逃げる様子はなく、おとなしく腕の中に収まっている。
人になれているのか…、それとも動けないのか。
それはおそらく前者で、この子の首には毛の色と同じ黒い首輪をしているのを見つけた。
――……。
「おまえ、ご主人様は…?一人?」
訪ねても答えが返ってくることも無く、小さなつぶやきは雨の音にかき消されていく。
私は猫を抱きしめたまま、そこから動こうとしなかった。
――家に帰ってもどうせ一人だ。
親なんか滅多に帰ってこない。冷え切っただけの家。
あの家に、帰りたくなかった。
猫のトクトクと小さな鼓動を、戻ってきた暖かさを感じて動けなかった。
動きたくなかった。
一人になりたくなかった。
自分の行動がとてつもなくむなしい。なれたはずなのに。―…雨は好きだけどやっぱり嫌いかもしれない。
そのとき、腕の中の猫の耳がピクッと動いた。
そして、同時に私の耳にも男の人の声が届く。
「…ン、出てこいレーンっ」
「ミャーっ」
黒猫はばたばたと、暴れ。
腕をすり抜けて声の方向へかけだしていく。
私はゆっくりとその方向へ視線を巡らせ、ぱっと立ち上がった。
黒猫の名前は“レン”らしい。
飼い主らしき人は黒い大きな傘を指していた。―…黒が好きなのかな。
シルエットと声からして男だろう。あの子にはちゃんと家族がいた。
─―寂しいなんて、思ったのは私は自己中なのかもしれない。
あの子は真っ先に走り出したのだ。
飼い主が随分好きなんだろう。
私は、すぐにトボトボと猫と飼い主に背を向けて歩き出した。
家とは反対方向だ。小さくてもぬくもりを感じた後あの家には居たくなかった。
「ふぅ」
襲いかかってきた憂鬱とした気分に思わず息を吐き出した。
冷たい。
激しい大粒の雨が、顔をぬらす。
どこ、いこうかな…。
そう、考え始めたときだった。
「…あの!傘ないんですか―っ?」
雨に紛れて聞こえた声に、思わず振り返る。
視界に黒猫を抱えた、男―…たぶん20歳前半の男がこちらに駆け寄ってくるのが見えた。
目の前に立つ男に無言で視線を向ける。
「レン、見つけてくれてありがとう。傘無いの?」
問いに答えないで、私はスッと顔をそらして歩き出す。
優しげな声をしているが、鋭く光る目は猫のようでその声とはなんだかアンバランスだ。
今日、これ以上人と関わるのは止めたかった。――寂しくなるから。
しかし、男は私の腕をつかみ、目を鋭く細めた。
「…女の子が体冷やしたら駄目。見つけてくれたお礼に送っていく」
しつこそうだ、と思った。捕まれた腕から暖かなぬくもりが伝わってきて眉を寄せた。
男は目を見開いてあわてたように「冷え切ってるじゃないかっ!」と叫ぶ。
その様子にふぅっと息を吐いて、言い捨てるように言葉をはき出した。
「いい。別に平気。家帰んないし。気なんか遣わなくていい」
そういって腕を振り解こうとしたがびくともしない。
私はさらに眉を寄せた。
「…親、心配するだろ?傘もなしにどこ行く気」
「……あんたに関係ない」
男は納得した様子は見せずに、目を細める。
イライラする。ほっとけばいいのに。後で、苦しくなるのは私なのに―…
「家、何処。このままだと風引くよ。」
ホント、イライラする―…
「帰りたくないんだよっ!!親なんか家に居ねぇし。
あんなところに帰りたくないんだ!
いいっつってんだから、ほっといて」
はき出すように、言って腕を振り解く。
今度は、成功しまたスタスタと歩き出す。
ついてない。
イライラする。
―悲しい。
しかし。
「…っぎゃ!!」
腕を引っ張られて傘の中に引き込まれて、体に打ち付けられていた雨がやむ。
「じゃあ俺の家、くる?このままだと風引くだろ」
体にぬくもりが伝わって、唖然と男を見上げると。
……そこには、穏やかな笑顔があった。
雨はやまない。
でも、
今日は寂しさをあまり感じないですむかもしれない。
Fin