終わりの言葉と始まりの言葉。


鈴乃は教室の窓からグランドを眺め、頬を窓から入り込む風が撫でたのを感じて目を細めた。
黒板の前の教卓では担任が少し淋しそうに、祝いの言葉を私たちに告げている。
そしてその言葉を向けられている人たちの中には涙を浮かべた人や目を赤く染めている人たちもいる。
ふと、またグランドへ視線を移し晴れた空に今日を最後に合うこともなくなるであろう人を思い浮かべた。
──今日、私はこの高校を卒業する。



「鈴乃っ!あんたはこの後行かないの?」
ガヤガヤとHRも終わって騒がしい教室でそんな声が耳に届いた。
クラスメイトの声。
顔を向ければいつもと同じ笑った顔があった。
「何に?」
問えば呆れたような顔を作って言う。
全くあんたはー定番じゃないのと。
それに首を傾げればますます呆れた顔をされた。
「卒業祝いっ。クラスの行ける奴ら集めて行くの!」
それに、納得した。
このクラスは仲が良い。担任を含めて気の良い人たちが集まっているから。
多分ほとんどの人がこれに参加するだろう。
でも。
「ごめん。私今日は用事あるからパス」
苦笑いしながら告げればニヤニヤと笑い返された。
笑いどころ、あっただろうか?
「何、彼氏ですか?そうだろう!私は何も聞いてないぞ鈴乃君」
まったく卒業祝いのデートですかこの野郎と頭をはたかれた。
正直勘違いだ。
そんな用事ではない。と思う。
「まぁ良いわ。でも近いうちに私に付き合いなさいよ」
彼女はそう言って笑った。その時に洗いざらい吐かせてやると言いながら。
その言葉に苦笑いしてそんなんじゃ無いと言えばまたはたかれた。
視線を上げれば笑いながら真ん中の集団に歩いて行気ながらこちらに手を振っている。
だからヒラヒラと手を振り返した。
そのうちクラスから大半の人が居なくなって、教室には席に座る私だけ。
傾いてきた太陽を見て、ゆっくりを席を立った。
今日でこの学校ともお別れだ。ちゃんと気持ちに区切りを付けなければならない。
そうしなければ、きっと私は進めないから。



歩きなれたこの階段を通ることもきっともう無いだろう。
古びた立ち入り禁止と紙の貼られたドア前にして足を止める。
このドアを開けるのも今日が最後。
ポケットの中の冷たい金属を取り出して、そのドアの鍵穴を開ける。
ノブを捻ればキイィィと音を鳴らしながらドアが開いて冷たい風が吹き抜けた。
一歩を踏み出す。
入れないはずのここに初めて入ったのは一年生の時の十月だった。
何故か鍵が開いていて。
友達と喧嘩して教室に居づらくて、泣きたくて一人になりたくて放課後ここに来た。
あの人と会ったのもここだ。
初めて、出はなかったけど。ちゃんと認識して真っ直ぐ見たのは初めてだった。
多分、教室以外でこの三年間で一番来た場所。

『…──いつまでここに居んの?』
膝に顔を埋めて声を上げずに泣いていた私は突然振ってきた声に驚いて顔を上げた。
誰もいないと思ったのに。
『いつから、いたの?』
『馬鹿野郎。俺の方がここに先にいたわ』
『立ち入り禁止なのに?』
『お前もだろうが』
言い返されて言葉に詰まった。
全くその通りだ。
それでも女の子が泣いているのだからそっと出て行くとか気を遣ってくれても良いと思う。
『…無神経って言われるでしょ』
『生まれてこの方んなこと言われたことねぇなー』
『知らない。私にとっては無神経だもん』
『それこそ俺だって知らねぇ』
多分、このとき私は気が楽になったんだ。
気を遣わないで話せて、泣いてるところを見られたから遠慮もなかったし。
気軽に話してくる態度とか雰囲気とかに安心した。
それから私は放課後に屋上に通い出した。

『あー、たばこすってる』
そう言った瞬間、バッと顔がこっちを向いてげっという風に眉が顰められた。
嫌なんじゃなくて困ってる顔。
実はちょっと可愛いって思った。
『いけないんだー』
『うるせぇ。お前に迷惑かけてねぇだろ』
『副流煙ってすってる煙より身体に害が…』
『…─消せば良いんだろ、消せば』
そう言って携帯灰皿にたばこを押し込めた。
でも、そつなそうにそれを見てる目が物欲しそうで。
でもこの人は私に出て行けとは言わない。
少しでも私と居るのを楽しいと思ってくれたら良いな。
『おいしいの?』
『何が』
まだ、顔が逃がそうにたばこを見てる。
そんなに吸いたいのかな。
『たばこ』
『吸ってないお前には分かんねぇよ』
『うん、そうかも。私肺弱いから煙駄目なんだ』
『……ふーん』
そう何気なく言うと、少し気まずげにこちらを見た。
言わなきゃ良かったかな。
それからあの人は私の前でたばこを吸わなくなった。
他はどうだか分からないけど。

あの日は私の方が行くのが早かった。
でも実は鍵を貰ったから入ることは楽ちんで。
でも、来てないことに落胆した。
今日は居て欲しかったなと思う。タイミングが悪い。
授業で作ったクッキー。
料理は好きだけど、今日は失敗してしまった。
口に入れる。
砂糖と塩を間違えたしょっぱいクッキー。
みんなに笑われたクッキー。
食べられない訳じゃないけど、おいしいわけでもない。
『…何くってんの』
頭の上から声が聞こえて見上げれば彼が居た。
会えたことにちょっと安堵する。
でもその手がクッキーに伸びたことで焦る。
『それ駄目!』
取り上げようとした手は遅すぎてそれはもう彼の口の中。
食べて欲しくなかった。
料理本当は出来るのに出来ないと思われるのは嫌だった。
泣きそうな顔をしていたのかもしれない。
口に入れた途端一瞬眉を顰めたけど直ぐいつもの顔に戻ってそれを飲み込んだ。
思わず顔をうつむけたら頭の上にポンと手が置かれた。
『まずい』
『っ…』
『が、食えないこともない』
『……』
『それ残り寄越せ』
『…やだ』
気を遣わせてる。無神経は無神経なりに私を心配して居るんだろう。
でもそんなのは嫌だった。
しかし、私の否定も無いもののように手の中からその包みは奪われて。
『っ!駄目だって!』
『うるせぇな。腹減ってんだよ。食えりゃいい』
『やだ!味変だもんっ』
『んなもん、次に期待する』
思わずポカンとしてその顔を見上げた。
その視線に気がついたのか眉を寄せてこちらを見返してくる。
いつも通りの何気ない言葉。
それが凄く嬉しかった。
それから私は一週間に一度お菓子を作って持っていくようになった。

ある時、あの人は全く屋上に来なくなった。
他で見かけても全然普通なのに。
そして来なくなって二週間立ったとき、ふらりとまたやってきて。
『お前暇だな』
『そっちこそ』
『馬鹿野郎、お前と違って俺は忙しい』
『忙しかったの?』
『まぁな』
理由は教えてくれなかった。
本当に忙しかったのかもしてないけど。
でも噂で聞いて知ってる。
付き合ってた彼女と分かれたらしい。
目撃情報が出回ってたりしたから。
隠したいのかもしれないけど本当はバレバレ。嘘付くならぽっぺたの腫れが引いてからにすればいいのに。
たたかれたらしい。
悔しかった。何が、とかじゃなくてとにかく悔しかった。嫌だった。
私は淋しかったのに。
だから、この時からずっと後にと言っても六ヶ月後くらい、あの人が忘れた頃に。
屋上に行かなかった。
丁度一ヶ月間。全く行かなかった。
淋しく思ってくれればいいなとか思ったけど。
世の中はそう甘くなかった。
『おう』
『…久しぶり』
『なに、もう来ないのかと思った』
むかついた。
当たり前かもしれないけどこの人は私が居なくても全然平気で。
淋しいとも思ってくれないのか、と。
『別に』
『何かあった?』
『何も』
『彼氏出来たとか?』
『出来てない』
なんだか質問が多かった。
いつもそんなに話しかけてこないのに。
『用事あったんだ?』
『友達と遊んでた』
『もう良いわけ?友達』
『友達の方にキャンセルされた』
『ふーん』
ちょっと声が素っ気ない。
暇つぶしに来たと思ったんだろうか。
事実そうだけど、本元はこの人に会いに来てるのに。
きっと何も分かってないんだこの人は。
『彼氏出来たからって』
『友達に出来たんだ』
『うん』
『ふーん』
でもこっちばっかり思うのは嫌だったからそのままにして置いた。
やっぱりちょっと苦い顔をしてた。

『何変な顔してんの』
『…してる?』
『してる』
珍しく声をかけられたと思ったら変な顔をしていたらしい。
心当たりは大いにある。
実は悩んでる。困ってる。
『あのね、告白された』
『へぇー、じゃもうここ来ねぇんだ』
ちょっとむかついた。
何その態度って感じだった。
確かにつき合うなら来なくなるかもしれないけど、私別に告白してきた人のことそういう風に好きじゃないし。
むしろ好きな人は…。
『…………ううん、来るよ』
思ったけどでも言わない。
『付き合わねぇの?』
『何で』
『来なくなるから変な顔してんのかと思った』
『違うもん』
確かに来れなくなったら変な顔するかもしれないけど。
これは違うもん。
『…なんて返事して良いかわかんない』
『嫌いなのかよ』
『違う』
『じゃぁ、好きなんじゃねぇか。付き合えばいいだろ』
何でこんな事相談してるんだろ。
何でこんな事言われてんだろ。あー、虚しいし悔しいよ。
『…そう言う好きじゃない』
『じゃぁ、どういう好きだよ』
『友達として、人間として好き』
『人間って…』
『傷つけたくないし友達で居たいからどうして良いかわかんないの』
そう、だから迷ってる。
でも返事もそんなに引き延ばすわけには行かない。
『試しに付き合えば?好きになるかもしんねぇし』
ホント悔しい。ヤダ。この無神経。
『……そんなのヤダ』
『何で好きな人いんの?』
『っ!!』
言葉に詰まった。
でも見ても、いつも通りで。ホントむかつく。
『そうだよ、好きな人いるよっ』
『へぇー』
なんだその返事!
自分で聞いたくせにっ馬鹿野郎!
『じゃぁ、そう言えば良いだろ』
『…好きな人いますって?』
『そう。変な期待かける方が後でキツイだろうし』
もっともだ。
きっと余計に傷つける。好きじゃないなら断らなきゃいけない。
友達で居たいけど、きっと元通りには行かない。
気持ちは元には戻せないから。
『……そうする。ありがとう』
『…どういたしまして』
その日にそれ以上会話は無かった。
それに懲りて恋愛関係の話題は二度と話を振らなかった。



いっぱい思い出がある。苦しいことも楽しいことも嬉しいことも辛いことも。でもそのほとんどがあの人で埋まってる。
でも、今日出会えなくなるから。この思いは振り切らないと行けない。立場も違うし、あの人とは年の差もある。許されない事だと思う。
あの人は……──先生だから。
許される事じゃない。
きっとあの人は私のことなんか何とも思ってない。馬鹿な少し関わりのある女子生徒位だ。
諦めなきゃいけない。
何度もあの人が生徒に告白されたとかいう話を聞いた。
じっさい見かけたこともある。先生の態度は誰にでも変わらない。みんなに同じに接する。私も含めて。
告白を断るときの台詞はいつも同じ。
『先生と生徒だし無理』
『子供に興味ないから』
いつも同じ。でももしかしたらって、私はって、思ってみんな告白するんだって。
あの人は不器用だけど優しいからみんな勘違いする。
結構まだ若いし。見た目も悪い訳じゃないし。態度も気軽だから、心を許す人は多い。男女ともに。
だから私は別に特別じゃない。ちょっと一緒の時間が多かっただけ。
たまたまここに来たからあの時間があった。
あの日ここに来なかったならこんな気持ちで今ここにいることもないだろう。
だから私は告白しなかった。出来なかった。
ここでの時間が壊れるのが怖くて。笑ってられなくなる気がして。
だから今日、告白する。
どっちにしろここでの時間は終わるし。その後会うこともないから気まずくなることもない。
私は好きになりすぎたから。
このまま会わなくなればきっと私はいつまでも引きずる。新しい恋も出来ないだろう。
で、言えば良かった。って後から後悔する。で、あの時言ってたらもしかしたらって想像する。
そんなこと後だから考えられることなのに。きっとずっと考え続ける。
だから、完全に振られて思いを断ち切らなくちゃ行けない。
でも期待が少しも無い訳じゃない。
だって卒業したし。少なくとも取りあえず今日で出れば先生と生徒ではなくなる。
こんな事考えたって後でダメージが大きくなるだけだけど、やっぱりそこは女の子だと思う。
何かが変わるかもって。確実に何かは変わるだろうけど。
胸がドキドキと昂揚するのは仕方ない。
「先生、来るかなぁー」

フェンスに良し掛かってグランドを見下ろす。
空はもう朱に染まり始めている。夜も近いかもしれない。
先生は来ない。そもそもこれは一種の賭だ。先生がここに来る何て保証はないんだから。
今日はそもそも卒業式だし。学校も早くに閉められるだろう。
あの先生が残ってる保証もない。呼び出すにしても私は携帯の番号もメアドも知らない。
会えなかったら会えなかったでそれはもう諦めるしかない。
むしろここまで来ると来ない確率が高い。最後くらい会いたかったと思う。
思わず苦笑いを漏らした。でももう少しだけ待ってみようと思う。
──背後でキイィィと軋んだ音がした。
「…何お前、何でここにいんの?」
少しだけ嘘だ!と思った。来るはず無いと思ってたから。
でも振り返った先にいたのは確かに先生で。
その顔は困惑に染まっていて。きっと私も同じ様な顔をしてるんだろうなと思った。
「…おま!お前ずっとここにいたのかよ?」
「う、うん」
「まじかよ…」
なんだか唖然とそう言った先生に構う余裕は今の私にはなくて。
構わずに、とにかく声を出した。
「先生、もう来ないと思ったのに何しに来たの?」
ホントにもう来ないと思ったのに。どうしてきたんだろう。
思いがけず会えたことに気分が高まる。
どうしよう、どうすれば良いんだろう。
「今日くらいたばこ吸おうと思ってきたんだよ」
「あれ、止めてたの?」
「周りから言われんだよ。煙いだのくさいだの」
「ヘビースモーカーのくせに」
「そう言った内の一人が何言ってんだ馬鹿野郎」
「言ったっけ?」
「なにげにさらっと主張しただろうが」
「えー?」
覚えてるよ。それでちょっと嬉しい。気にしてくれたんだって。
だから素直に笑ってあげた。いつも憎まれ口ばっかりだから。最後くらい笑う。
素直にならなくちゃ後悔する、絶対。きっと神様がくれた最後のチャンスだと思うから。
先生はちょっとその顔を見て目を細めた。
私はその顔を居てそっと目をつぶった。言う。そう思って少しだけ小さく深呼吸した。ちゃんと笑うよ。大丈夫。
小さく口元に笑みを浮かべた。目を、ゆっくり開けて先生を見つめる。ちょっと怪訝そうな顔をしていた。
きっと、驚く。目をまん丸く見開いて、言葉に詰まる。そして困ったようにしながら眉を寄せてきっと「ごめん」って。
予想して、悲しくなって少しだけ眉を下げた。
「…せんせぇ」
「何だよ」
相変わらずちょっと乱暴な言い方。
そんなところも好き。そう思うと、今度はしっかり笑えた。と思う。
「お祝いの言葉くれないの?」
「…吉原、卒業オメデトウゴザイマス」
「せんせぇ片言ー」
「うっせ。ほっとけ」
今度はちょっと顔を背けてすねたみたいに。
でも知ってる。照れてるんでしょ?分かっちゃうんだから。
「せんせぇー」
「なんだよ」
「私さぁー」
笑え、私。今までで最高の笑顔を見せて、それで言うって決めたんだから。
フッとからだから力を抜く。ずいぶん力んでいたのが分かる。
でも先生への気持ちを思いだしたら自然に笑えた。
今幸せそうな笑顔してると思う。
「私、先生…─ううん、原瀬芳崇さんの事が……─」

きっと、この後どうなろうと私は笑ってるだろう。
少なくとも先生の前では泣かない。
最後先生を名前に言い直したのは小さな抵抗。
もう先生じゃないって、ほんのちょっとの主張。
ちょっとくらい特別になりたい。先生と生徒が理由じゃなくてちゃんと断るなら断って。
少しほんの少し希望も持ってたりするけど、でもちゃんと分かってるから。
これはどうなりたいとかじゃなくて、伝えたいって知って欲しいって言う私の我が儘。
私が、前に進むための一歩。
時間は流れるし立ち止まっては居られないから。
先生、私はきっと前に進むよ。
だから最後に我が儘聞いてよね。自己満足だけど。

私はあなたが──…好きでした。



Fin





Web拍手



Main || Top || おまけ→