飛べない花 09
相変わらず表情に貧しいその男は、久しぶりにあったというのに開口一番に心配するでもなくアレクサードへ言い放った。
「やられたか」
相変わらずの物言いに、思わず苦笑いを漏らしてアレクサードはその男の目の前のソファーへ腰を落ち着けた。
少年の頃からの友人とはこれでも長い付き合いだ。
王子─…クリストファーは、昔からこういう奴で、人と接するのが苦手なのかもしくは面倒なのか、苦労させられている。
ただ、王位第一継承者でもうすぐ王になるこの男は、昔から聡明で鋭かった。まぁ一方で鈍くもあったのだが。
今現在の俺自身の状況は著しくはない。きっと一目で何が起こったのか悟ったのだろう。
腕に巻かれた包帯。領地を任されている領主とは思えぬ護衛の人数。到着の遅れた時間。理解するのには十分なほどの現状だった。
何しろ、自分よりも恐らくそう言う目に会うことの多い王族の男なのだ。
アレクサードは一度頷いて疲れたように息を吐き出した。
「あぁ、しかし身の内から敵が出てきたのは参ったな」
傷ついた腕を軽くさする。今回護衛に連れてきた者達の人数は現在半数以下しか残っていない。
そして、今回の護衛達は長年使えてきた信用のおける者達を選んだつもりだった。
…──そう、つもりだった。しかしそれなのにこの有様だ。
ずっと、潜んでいたのだ。俺の首を掻き切る時をひたすら狙って。
現在残っている護衛も、怪しい。今の状況で彼らに完全に信用を置けるはずもない。
「最近は大人しくなったと思っていたからな」
クリストファーの言葉に、あぁと同意の声を漏らしアレクサードは深くソファーへ身体を沈めた。
俺が領主に就任する6年前から、東の地ではある“物”が出回りはじめた。国で完全にその売買を禁止しているそれ──…魔薬、が。
それまではそれが出ることなど無かった。が、ある日突然出回り始めた。
魔薬は人に、快楽を与える。また、依存性と思考力の麻痺。そして、一時的な身体能力の向上。
一時期は、狂気に落ちた民による事件が多発した。しかし、8年前に父上と俺で我が物顔で東の地にのさばっていた魔薬売買の組織を壊滅させたはずだったのだ。
しかし、今も秘かにだが魔薬はあの地に根を下ろしたまま。
あの時の組織の残党がまだ動いているのか、はたまた全く別の組織が魔薬を受け継いだのか。
「魔薬の方の調査は進展したか?」
出回っていた魔薬が一体何で形成されていたのか。
これまでに数種類の薬草で作られていたのが判明した。ただ一つ、何によって“身体能力の向上”が成されたのかが分からない。
他の効き目は、含まれていた薬物の効果と照らし合わせれば一致したが、これだけは分からない。
身体の強化だけを求めて魔薬の中毒者と化した者もいる。救いは、魔薬の解毒薬を作ることが出来たことだ。
「相変わらず分からないな」
「そうか…」
事態は好転しないまま、ついに相手が先手を打ってきた。屋敷が気になるが、今使いを出して下手に動かれては困る。
否、もう動き始めているか。ベートに屋敷は任せた。信用のおける者を集め、警戒をしているはずだ。
─…しかし、その中に内通者が混じり込んでいる可能性は無いのか。今回の護衛のように。
皆が危険にさらされることは─…。
ふと、そこまで考えて苦笑いを漏らす。大丈夫だ、弱気になることなど無い。屋敷にはベートも、父上も居る。
ならばやはり情報は彼らにもあったほうが…─
「クリストファー」
「…何だ」
「東の領地へ、使いを頼みたい」
人を貸してもらえるか、と目で伝える。
フと息を吐き出して、間の前の男は眉一つ動かさないで強く目線を返してきた。それだけで伝わるものがある。
「良いだろう。動くなら早いほうが良い。今ここで書いてしまえ」
紙とペンは引き出しの中にある。あと人を扉の前に置いておく、終わったら呼びに寄越せ。とそう言い残したクリストファーは直ぐさま背を向けた。
その素っ気なさに思わず苦笑いを漏らす。
「どこに居るんだ?」
背中に掛けた声に、ドアのノブを掴みかけた手がピクリと動き、とクリストファーは振り向いた。
スッと目が細められ、ゆるゆると口元が緩む。それを見てアレクサードは笑いそうになるのを耐えた。
「…アスカの所だ」
パタンと、扉の閉まる乾いた音が響きアレクサードは一人ククッと肩を揺らす。
振り向き様のあの惚けきった顔。幸せだと全身で叫んでいるようなそんな顔をしていた。
笑うことなど両手で数えられることしかなかったあいつが、だ。
「全く、人は変われば変わるもんだな…」
きっと、奥方限定で。そう思うとやはり笑いがこみ上げてきそうになる。
本当に丸くなったものだ。
昔なじみの良い変化に、祝いの気持ちが沸いてくるが、同時にうらやましくも思う。
生涯隣にいる、本当の意味で寄り添う相手を見つけたのだ。あいつは。まさか、先を越されるとは思いもしなかった。
自分は見つかるのだろうか、そんな相手が。隣に寄り添い、支えてくれるそんな女性。
そう、穏やかに癒しを与えてくれるような…──癒し、と言う単語でまず思い浮かぶのはメイディアだ。
まず、そこで人が思い浮かばない時点で今も自分に希望はないだろう。残念なことに。
動物、否小動物か。人ではないがアレは賢い。
人の言葉を理解している、だろう、恐らく。怖いほど確実に。
思えば、俺の元に来る過程も酷く怪しいものだった。身元の分からない婦人に玄関に、置いていかれていた小鳥。
珍しい蒼い羽毛を持つ飛べない鳥。
今は恐らくアレは飛ぶ訓練でもしているのだろうか。部屋に抜けた羽が散っていたりアレ自身が床に落ちていたり。
そうだ確か、窓から落ちかけてからだ。まるで、もう二度と失敗しないようにとしているかのように。
そこまで思って、首を振る。幾ら人間じみていても、所詮は鳥だ。深く考えてはいけない。
何より、今考えるべきことではない。
「──今は魔薬の事だ」
手紙を書かなければ。今回刺客として襲いかかってきた奴らのことを。
恐らく、これに繋がっているはずだ。
ふうっと息を吐き出して、アレクサードは書くべき詳細を、頭の中で思い描き始めたのだった。