王子の毎日


「…トルトン、一体いつになったらこの仕事は終わるんだ」
げんなりした様子で金髪緑眼の青年はそばに控える臣下であり、兄のような存在でもある男へ呟いた。
トルトンと呼ばれた男はにっこりと笑みを崩さないままさわやかに言い放つ。
「私には分かりかねます」
「…トルトン、俺は少し休みたいんだが」
「なりません王子。全て終わらせてからになさってください」
胡散臭い笑顔を崩さないまま言い続けるトルトンを王子─…クリストファーは怪しげに見返す。
何だ、こいつがこんな時はいつも何かあるんだ。
「何を企んでいる?」
「企むなどめっそうもございません。私は王子の為になることしかいたしませんよ」
あまりにすがすがしくそれが余計に怪しさを醸し出しているトルトンにクリストファーは眉を寄せた。
それがいつもろくな事ではないのだ。
これは逃げた方が賢明かもしれない。
チラッと視線を向けると、にこやかな顔でこちらを見ているトルトン。
サッと目が合う間に視線を手元の書類に戻し、クリストファーは沈黙する。
これは確実に見張っている。
やはり何かあるな。
「…今日は何があった?」
「今日は通常の執務と隣国の王族との会食が昼にございます。
 クリストファー王子もレオナルド王子と共にご出席なさってください」
…─会食。
考え込んだクリストファーは、しばらくしてガタッと席を立った。
「どちらへ?」
その後ろにトルトンが離れることなくついて行く。
「昼間で時間がないだろう。正装に着替えてくる」
何でもないようにそう言うと、トルトンは目をパチパチと何度か瞬かせ感激したように唇を振るわせた。
「な、んと…やっとクリスにも自覚が目覚め…いえ、ご立派なことにございます」
…─今一瞬、素が戻ったことにそんなに驚くことかと呆れたように息を吐き出す。
幼い頃から共に過ごしてきたこの幼なじみでもある臣下は、クリストファーが成人を迎えると途端に接し方を改めはじめた。
普通にしろといくら言っても変えようとはしない。─…まぁ、どっちにしろ基本は変わらないので俺に対しての遠慮は一切無いが。
「…煩い。俺だって仮にも王子だ」
いや、仮にではなく正真正銘の王子なのだが。
「直ぐ戻る」と言い残して執務室を出る時、トルトンは感極まった様に「承知いたしました」と良いながら一礼した。
…それだけ、苦労を掛けていると言うことだろうか。

スタスタと廊下を歩くと使用人の者達とすれ違う。
皆頭を下げた後にそそくさと離れ、遠くからこちらを覗って居るのがわかる。
思わず苦笑いを零しそうになった。
…弟のレオナルドは明るく活発で人なつっこい性格をしていて使用人などには好かれている。
対する俺は表情が貧しく接しづらいらしい。
言葉少なくそしてよく城を抜け出す。俺としてはただ脱走しているのだが、周りはそうは思っていないとのこと。
お忍びで街を偵察しに出て行っている大層真面目に見られているようだ。
これもまぁ、トルトンに聞いた話だが。
部屋に着きパタンと部屋のドアを背に静かに閉める。
おもむろに歩みを進める先は、服のしまわれたクローゼット…─などではもちろんなく、その手は窓に掛けられた。
小さく口角を上げると勢いよくバッと窓を開ける。
「…すまないな、トルトン。俺は少々出かけることにする」
そう呟くとクリストファーは躊躇なくその身を窓から投げ出した。
…─おっ、と小さく声を漏らしクリストファーは木の枝から手を放すと見事にすたっと地面に着地した。
クリストファーの部屋の窓の直ぐ横には大きな木があり、その木に跳び移って見事に外へ脱出したというわけである。
クリストファーは自らの部屋を見上げた後、直ぐに歩み出した。
さすがに城の誰も知らない場所へ行くのは大騒ぎになる。目指すのはいつもの場所だ。

城を抜けてクリストファーがやって来たのは、城下の酒場だった。
カランと戸につけられた鐘が鳴る。
「いらっしゃ…ってなんだ、クリスじゃねーか。何、また怖い臣下から逃げてきたのか?」
声を掛けたのはこの酒場の亭主であり、元城勤めの兵士だった男だ。
それもあり、クリストファーは城から逃げたときは必ずここに顔を出していた。
「ヒュー別にトルトンが怖い訳じゃない。面倒事を引っ張ってくるから逃げるんだ」
眉を密かにひそめた顔でクリストファーが言うとヒューと呼ばれた男は愉快だと言うように笑った。
「ククッそうかい。で、今回はどうした王子様?」
「煩い。別に嫌な予感がしたから出てきただけだ」
付け足すように「トルトンがやけにさわやかな笑顔で俺を見張ってた」と言うと納得したようにヒューは首を上下に振った。
「あ〜、アイツは何かあるとやけに笑うんだよな。
 親しくないと普通の笑顔にも見えるが、俺たちからしたら怪しい笑みを浮かべんだよ。」
「だから逃げてきた」
ヒューは悪びれもなく城を抜け出してきた王子にニヤリとした笑いを浮かべると「そんな王子にとっておきの情報をプレゼントしよう」と言った。
クリストファーは怪訝そうに眉を寄せる。
そんな様子を少しの意にも関せずヒューは口を開く。
「実はこの直ぐ裏の森の中にある民家に結構若い美人な女が「下らんことをいうな」
最後まで言い切らないうちに遮られたヒューはつまらないと言うように嘆息する。
それは呆れたようであり心配するようでもあった。
「お前は本当に男か?それとも使い物になんねーの? いい加減結婚くらいしたらどうだ」
不快そうに顔を顰めたクリストファーは直ぐさま言い返す。
「女は適当にやっている。余計なお世話だヒュー」
あんまりな言いぐさにヒューは「大丈夫かねぇ、この国は」と漏らすと、次期国王であるまだ若い青年へと視線を向けて小さくため息をはき出したのだった。

そんなクリストファーが、このときヒューが言っていた森に住む少女に出会うのは、トルトンと王が痺れを切らして婚約者捜しに乗り出すもう少し先の出来事だった。

結局、クリストファーが城に戻ったのは夕刻間近の時間で、当然昼の会食はとっくの昔に終わった頃。
こっそりと門を潜ろうとしたときだった。
「…王子、さぁ何があったのかお話願いましょうか」
そこには仁王立ちで臣下のトルトンが目の前に般若の形相で立ちふさがっていた。
「トルトン、あまり怒ると禿げるぞ」
クリストファーのその発言にトルトンの頭の中でプチッと小さく音が響いた。
トルトンはその顔に笑顔を貼り付けると
「門番、王子を引っ捕らえなさい。」
えらく地を這うようなドスのきいた声で言い放つと、門番は「は、はいぃ!」と震え上がりながらもクリストファーの両腕を取り押さえた。
クリストファーは少し焦ったような顔で言う。
「お、お前達! 何をするっ!!」
「殿下ご勘弁を!」
「私たちも命は惜しいのです!」
門番二人は冷や汗を流しながらクリストファーの腕を本気で取り押さえている。
それほどにトルトンの顔は恐ろしかった。
トルトンはクリストファーに近寄るとにっこりと笑った。
っぅく、な何だ!?
その笑みに背筋に冷たいものが走りクリストファーのこめかみを冷や汗がつーっと流れた。
「と、トルトン?」
「…ご立派な王子の為に、王が早く国政の仕事になれるように仕事を下さいましたよ?」
その言葉に息が詰まった。
今日抜け出す前にもそれなりに仕事はたまっていたのだ。
このトルトンの様子だと、結構な量が追加されたようで、クリストファーの頬はぴくぴくと引きつった。
俺を疲労で殺す気か?いっそのことまた、逃げ出すか…
「あぁ、逃げ出そうなどとはお考えにならないように。
 その場合は倍の量があなたの元へやって来ますよ?」
クリストファーはその言葉に青ざめた。
ば、い…
頭の中には書類に埋もれた自らの机がリアルに思い浮かぶ。
「もう一つ。隣国の姫とのお、み、あ、い、が今夜ございます。
 もう逃げ出さぬように。…その時は分かってますね?」
クリストファーによればその時のトルトンの顔は一生忘れられないような凄まじい形相だったとか何とか。

しかしそれは、何ともないようないつもの日常の風景だったとか。(門番談)



Fin





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