手紙


ただ、今はそれだけに意識を乗せて。
手に持った羽ペンを動かした。
文字を綴る紙にインクが染みこんでその形をなしていく。
久しぶりに書く自らの母国の文字は何とも言えない懐かしさをその胸に抱かせた。
そっと、動かす手を止める。
窓から風が注いで髪と頬を撫でて通り過ぎていく。
それを感じながらゆっくりと目蓋を落とした。
消えることのない感傷を胸に秘めて。



「かあさま!」
ふと、その場に幼い声が響いた。
聞き慣れたその幼い自分を呼ぶ声に抱いた感傷を心の奥に押し込めフッと小さく笑みを漏らす。
近づいてくるパタパタという足音にイスから立ち上がってその小さな走り寄る身体を受け止めた。
ギュッと足にしがみついてくる腰に届かない小さな手に腰をかがめてその身体を抱き上げた。
「アン、どうしたの?」
「かあさまっディがね、アンのわるくちいうの!」
そう言ってくる幼い声に小さく笑みを漏らした。
しかし、何か答える前に目の前からまた走ってくる小さな影を見つけてそっと目を細める。
小さい影は直ぐそこに来るとグッとその小さい眉間に皺を寄せて方で息をしながら声を上げた。
「こらアン!またかあさまにだきついてるなっ
 いつまでもそうだから、おまえはなきむしなんだぞ!」
「ちがうもんっアンなきむしじゃないもん!」
そんなやりとりを始めに幼い口喧嘩がはじまりその微笑ましい光景にまた笑う。
しかし、止まらない幼い言葉の行き交いに終わらせるため「はいはい、ちょっと静かにしなさい」と声をかけるとピタリとそれは止み。
満足に小さく頷いてから二人を見る。
アンは己の腰に強く抱きついたまま。ディは直ぐ近くに仁王立ちしている。
しかしディの目線が抱きつくアンの手見ていることに気がついて近くに来いと手招きした。
おずおずと近づいてくる様子に少し苦笑いを漏らす。
恐らく怒られると思っているのだ。
ディにはアンの双子の兄として優しいく守って上げなさいと教えている。
何よりも幼いながらの兄としてのプライドももうあるのだ。
だからアンの様に素直に甘えることが出来ないでいる。
そんなことを思いながら強張る頭にぽんと優しく手を乗せてゆっくりと撫でて上げる。
ゆっくりと肩から力を抜いておずおずと上目遣いで様子を覗う様子に微笑みを漏らした。
「ディ?あんまりアンを虐めちゃ、だーめ。
 それに、こんなにココに皺を寄せて。教育係の先生みたいにしわしわになっちゃうわよ」
ぐりぐりと眉間を撫でながら言うと勢いづけて顔を上げられて指が離れる。
「やだ!」
飛び出した叫びに近い声にクスクスと笑いを漏らした。
「じゃ、眉寄せなーい。格好いい顔が台無しよ?」
「…むー」
唸る声に今度は反対側から抵抗するようにギュッと抱きつく力が増した。
ソッと見下ろすとアンがむくれた顔をしてこちらを見上げていて。
放って置かれたことに拗ねいるのだろう。
その顔に笑いながらアンの頭にも手を乗せる。
「ほらアンも、ほっぺた膨らませない!フグになっちゃうわよ?」
ゆっくり二人の頭を撫でながらそう言うと、二人共に不思議そうな視線を向けられて首を傾げた。
二人はジッと見上げながら同じような格好で首を傾げている。
「「フグってなに?かあさま」」
同じタイミングで成された質問に思わず息を詰める。
純粋な目が答えを待つようにジッと見上げてきて、少し苦笑いした。
「フグって言うのはねー、お魚よ」
「かあさま、おさかなはふくらんでないわ」
「…お魚の仲間に膨らんだ子がいるのよ」
「でもかあさま、おさかなはうすくてひらべったいのにふくらんでるの?」
そう言われて、言葉を詰まらせる。
思い当たったのは食事に出る魚だ。
無論、和食のようにそのままの形で出るわけはなく。
生きた魚など見たこともないのだと言うことに思い当たった。
それに気がついて、今度絶対生きた魚を見せようと決める。
そう言われればここにフグはいるのか疑問ではある。
そんなことを思いながらどう説明したものか考えを巡らせる。
「フグって言うお魚はね、膨らんでるのよ」
「なんでなの?」
「フグが自分はえらいんだって威張ってるからよ」
「いばってたらふくらんだの?」
「そうよ。ほら城にいる偉い人たちも一部の人はお腹が大きいでしょ」
「「あ!」」
「ね?あれはね自分は偉いんだー、金持ちなんだーって威張ってるから膨らんじゃったのよ」
「じゃ、じゃあフグさんもそうなの?」
「ぼくらもいばったらふくらんじゃうの?」
この作り話に二人は少し怯えたようにそう言った。
思わずニヤリと笑みを漏らす。
その顔に余計に怯えたらしく小さく後ずさりした。
フフフフと笑いながら言葉をはなつ。
「…そう、ディ達も威張るとねあんな風にぶくぶくとまぁるく身体がふく──った!」
突然、バシンと頭に衝撃が走り思わず頭を押さえた。
痛みを確かめるように頭部を撫でながら上をゆっくりと見上げると案の定思った通りの顔がありアハハと乾いた笑いと漏らした。
「「とうさま!」」
目の前にいた二人が自分たちの後ろに振り返りその途端声を上げて彼に走り寄っていく。
その後ろ姿を見ながら苦笑いを顔に乗せて呆れたように見下ろす視線に思わず視線を逸らしたくなった。
「アスカ…」
「……ハイ、ごめんなさいクリス」
明日香は呆れたように落とされた名前に潔く謝った。
クリスは苦笑いして明日香の頭をポンポンとなでる。
さっき自分が子供達に同じ事をしていただけに微妙な気持ちになったが心地よかったので気にしないことにした。
「どこから聞いてた?」
取りあえず疑問を口にするとクリスは平然と言った。
「フグは膨らんでいると言うところからだ」
ほぼ最初からじゃないかと思いながら口にはしない。
どうして気がつかなかったのだろうと首を傾げた。
「ねぇとうさま!ぼくたちふくらんじゃう?」
「フグみたいにふくらんじゃうの?」
純粋にも疑問を口にした二人にクリスからまた冷たい視線を浴び、明日香は思わず視線を逸らした。
「アンティーラ、安心しろ。それはアスカの嘘だ」
「ウソ?」
「ふくらまない?」
「ああ、ふくらまない。
 一部の人間の身体が膨らんでるのは単に太っているだけだ。
 運動不足と食べ過ぎでな」
ちらちらと二人がこちらを覗う視線を感じ、明日香は苦笑いしながらあさっての方向を向く。
クリスが深々と溜息を付くのを感じた。
何となく、拗ねたい心地になったが賢明も止めた。
そんな明日香を助けたのは結局の所クリストファーだった。
「それよりもアンティーラ、ディレイト。お前達は何でここにいるんだ?」
そのクリスの言葉に二人は顔を上げ固まった。
その様子に明日香は小さく首を傾げる。
「お前達はフィーライナの面倒を見ていたんじゃ無かったのか」
その言葉でああと納得した。
今は城にレオナルド達が滞在している。
レオナルドとその奥方、そしてそのこのフィーライナ。
フィーライナは二人よりも一つ下の女の子だ。
二人は彼女を妹のように可愛がっている。
その二人は固まったままクリスを見上げていた。
「…ほらー、フィーの所行かないの?」
そう声を掛けると、二人は何か言いながら部屋を飛び出していった。
上手く聞き取れまかった。
そんなことを思いながら、目の前に立っている自分の夫を見上げ服の裾を軽くほろいながら立ち上がった。
また、ぽんと頭に手が乗せられゆっくりと髪が撫でられる。
「出来たのか?」
それが何をさしているのか、直ぐに分かった。
視線を机の上の広げられた紙に向けて軽く頷く。
「…うん」
「そうか」
それだけ短く答えられて明日香は少し肩から力を抜いた。

少し、少しだけ思い出した。
二人も大分大きくなった。
「…──不思議、よね。あれは四年前の私の世界へ届くなんて」
「あぁ」
魔女に連れてこられてもう五年経つ。
あれから色々あった。
本当に、色々…。
魔女が私の元に突然やって来たときは驚いた。
時間の流れが違うのか、過去へ送るのかは分からない。
あまり、知りたいとは思えなかった。
「あれは何がしたいのか昔から良く分からない」
「…そうだね」
魔女は、いつも突然で残酷なこともするけど善意をはたらくこともある。
今回はそれだろう。
感謝、しなければならない。
今だから分かることもある。
あの時、私は1人だと孤独だと思いこんでいた。
でも、違う。
あの時周りには沢山の人が居た。
祖母達は絶対に心配してる。きっと叔父さんも。
それに友人にも私を心配している人は居るだろう。
それを、今は分かっている。
明日香は少し眉を寄せた。
しかし目の前に何かを差し出されて、思わず受け取る。
手に取ったそれは、絵だった。
それを見て声を漏らす。
「出来たんだ」
「ああ、今届いた」
その絵に描かれるのは幸せそうに笑む1人のイスに腰掛けた女とその腕にだかれた小さな男の子。
そしてそのイスに手を添えて立つ男と男の腕に抱えられた小さな女の子。
子供二人は無邪気に笑み、男は愛しげに三人を見下ろしている。
そんな、絵。
表面を指でなぞる。
「良くできてる」
「あぁ、だからもう一枚同じ大きなものを書かせることにした」
満足げに返ってきた答えにすこし笑う。
これは最近、信用のある絵描きに書いて貰ったものだ。
私とクリス。
そして…──私たちの子供達。
絵の中には幸せそうな私たちがいる。





お久しぶりです。お祖母ちゃん、お祖父ちゃん。
この手紙はちゃんと届いているのでしょうか。
今読んでるって事は、届いたようで安心です。
元気ですか。
病気になってませんか。
きっと、一杯心配させたかもしれないよね。
ごめんなさい。
お父さん達が亡くなって、私まで居なくなったから。
今まで連絡できずにごめんなさい。
きっと、こんな風に手紙を送れるのも最後だと思います。

一年が、経ってるんだよね。
でも私はそんな気がしないの。
とても長くてでも、幸せな時間を過ごしています。
それを、伝えたかった。
悲しみを忘れるのは難しくて。
だから忘れることは止めて、それを受け止めて私は前に進みました。
だからお祖母ちゃん達も。
たぶん、まだだと思うから。
少なくとも私のことは心配しないで。
っていっても無理なことは分かってるんだけどね。
連絡もないし、帰りもしない孫を許してください。
私はもう、そこには帰れません。
ここで居場所を作ってしまったから。
大切な人と一緒に。

多分、友達とか親戚とか知り合いの人とか。
みんなに心配を掛けてると思います。
厚かましいんだけど、その人達に私の無事を伝えてください。
私は無事です。
全力で生きて、生活してます。
とっても遠いところで。
心配を掛けていたくせに呑気にくらしてますって。
伝えてくれれば嬉しいな。

こんな風に、手紙とか書くの久しぶりだから何書いて良いか分かんないよ…。
最後だって言ってるのにね。
ごめんなさい。

あ、絵を、同封してます。
良かったらそれを、持っていてください。
みんなに見せてもらっても良いです。
信じられないかもしれないし、良く分からないかもしれないけどいちよ。

あぁ、こんな終わり方でごめんなさい。
でも、最後に一言だけ。


私は幸せです。ありがとう。



明日香



Fin





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